日吉・綱島・大倉山散歩

日曜日,妻とウォーキングした。今回のお散歩ルートは横浜方面。お隣りの横浜市港北区の日吉,綱島を経て大倉山まで歩いた。午過ぎ,新川崎駅跨線橋から西に向かった。操車場には電気機関車が往ったり来たりしていた。

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尻手・黒川道路を越えてさらに行くと道が狭まり,慶應大学・矢上/日吉キャンパス一帯となる。「日吉ってこんなに近いんだ」と妻はびっくりしていた。慶應・日吉キャンパスは理工学部関係の学舎があると聞いたが,中国文学シンポジウムの看板がでかでかと出ていた。大学付近は小振りで個性的なデザインの瀟酒なマンションが目立つ。お金持ちがいっぱい住んでいそう。すぐ隣なのに私の住む川崎市幸区とはエライ違いである。銀杏が色づいていた。

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綱島街道をずっと南下した。綱島駅近くの街道沿いに,夏目漱石みたいな作家が机に向かっていそうな古く奥床しいお屋敷があった。妻が 20 年前に住んでいたぼろアパートを見に行こうということになった。久しぶりに綱島駅前商店街を歩いた。ミッキー安川さんの似顔絵の看板以外は,かつての記憶がほとんど失われていた。あのアパート,どう行くんだったっけ。妻もまったく忘れ去っているようだった。歩いているうちになんとなく思い出して来た。米屋の前を折れて坂を上がったところのあの場所は,残念ながら,もうコーポなんちゃらの新しい建物に建て変わっていた。

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横浜市港北区は小高い丘の多い地勢である。妻が独身最後の日々を送ったアパートは,そんな丘の大きな林を背負った,築何十年かの木造 2 階建てだった。昔の刑事ドラマに出て来る,犯人の潜伏する貧しい愛人宅という感じのぼろアパート。「アンタァ,逃げて!」のなんとか荘のイメージ。内風呂なんて当然ない 1K。林に半ば食い込むように建てられたそのアパートは,山の中の隠れ家のような雰囲気があってよかった。でもその代償として,ここが都会とは思われないくらいの大きな蜂や毛虫に出くわした。ムカデも出た。ある時,私がコーヒーを入れようと湯を沸かし,ガスコンロ横の雑巾を取り上げたら,20 センチ以上あるかと思しき褐色の巨大なムカデが目の前でうねっていた。こんなのに刺されたら失神してしまうかも知れないと思うと,私は恐怖のあまり包丁でそれを押さえつけて殺そうとした。ところが体が鋼のように硬くて切断できず,死にやしない。そのまま流しに引きずり落とし,熱湯を浴びせかけてやっとお陀仏となった。物持ちのよい妻はそのステンレス包丁をいまだに使っている...

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綱島から大倉山に向かう。もう薄暮の頃合いになっていた。鶴見川の東横線の橋桁下の川縁で中年男がパンツいっちょの裸でなにやらやっていた。ちょっと興味があったがそのまま歩を進めた。大倉山駅前に到着するころには,すでに陽が完全に落ちていた。駅前の,妻の綱島時代によく行った,果物屋の階上にある喫茶店でコーヒーを飲んだ。当時は "Café du refuge clair" (ルフュージュ・クレール) という名前の,ヨーロピアンのお洒落な店だったが,時が過ぎいまは「グランデ」という名になっていた。クリスチャン・ラッセンのイルカ絵のポスターが飾ってあった。音楽もイージー・リスニング調に変わっていた。フランス近代のヴァイオリン小曲のクラシックの似合う雰囲気は失われていた。けれども,マンデリンは旨かった。いずれにせよ,こうした旧き個性的な喫茶店は,スタバなどのチェーン店舗に淘汰され,絶滅寸前になってしまった。

坂道を上って白亜の大倉山記念館を見て,東急東横線で帰途に着いた。歩きに歩いた。帰宅して万歩計を確認したら,21,260 歩だった。

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