大学の友人

昨日,大学時代の友人 T から電話をもらった。私の名前を奥村先生の『pLaTeX2e 美文書作成入門』で見つけて「まさか」と思ったという。彼の声を聞くのは,長期入院した私を彼が病院に見舞ってくれて以来であった。電話では私も忘れてしまっていたような学生時代の話が彼から出て来て,私もついつい夢中になって一時間以上の男児らしからぬ長電話となってしまった。

T は青森県出身,函館ラ・サールから北大理学部数学科を出てドイツに留学したのち,東京電機大学の教員となった。早稲田でも教えているという。私の専攻はロシア文学だったので,T とはまったく畑違いなのだが,音楽という趣味を通して彼と知り合うことになり,長い付き合いになった。私の恥ずかしい過去を妻以上に知っているひとりである。彼はヘタなチェロを弾いた。トスカニーニのベートーヴェンに心酔していた彼は,私とは音楽の趣味がまったく合わなかった。彼の私との共通点といえば,クラシック音楽という枠組みを除くと,何の役にも立たない学問をしているところだけだった。解析(微分・積分)の教科書を目下執筆中という。その文房具である TeX についても,いろいろ調べていて,それで『美文書』を手に取った次第だという。数学関係の出版社は TeX 入稿が当たり前である。

彼は数学を先攻していることもあり,学生時代から TeX を使っていたという。いまでこそ LaTeX に親しむ私も,大学時代は電子計算機とはまったく無縁で,理科の友人たちの計算機話はチンプンカンプンでそのあたりのことが記憶から欠落している。T によれば,北大では 1980 年代後半には HTeX (Hokudai-TeX の略であろうか) なる独自のフォーマットファイル(AMS-TeX の独自改造版だったらしい)が学内で普及していて,理科学生の一部はこれを使って論文を書いていた。この HTeX は,Leslie Lamport によるいま主流の LaTeX ではなく,Knuth 教授による TeX82 に近いプリミティブなものであっただろうと想像すると,私など足下にも及ばない TeX 道を T は歩んでいたのだと,いまさらながらびっくりした。

学生時代の私の友人で計算機を学んだ者たちは,いまより遥かに性能の劣る計算機を使っていたわけだが,やっていることはいまよりずっと高度だったのではないかと思う。いまの学生は論文作成は Microsoft Word, Excel でこと足りるので,TeX なんてよほどのことがない限り選択肢とならない。私が二年前東大に論文を提出したときも Word 形式でないと受け付けてもらえなかった。いまでは PC で動作する研究者向け科学技術関連ソフトがいくつも出回っているが,当時は大型計算機のソフトウェアはコンパイラ以外は DB / DC,ソート・マージなどのファイルユーティリティ,数値計算ライブラリなどがあるばかりで,自分の研究のために必要なすべてのアプリケーション・ソフトウェアを自分で書かなければならなかった。さらに,その研究成果である論文を,TeX で「プログラミング」して書いた。Word が TeX よりも低級だというわけではないけれども,私がここで「高度だった」というのは,使う者よりもそれを作る者の方が技術的に高い位置にいる,くらいの意味である。さらに言うと,Word よりも TeX の出力のほうが遥かに美しいということである。しち面倒くさいことを原理から学んで身につけないとならないことがらがコンピュータリテラシーに付いてまわるだけに,Fortran とアセンブラのプログラミング素養がコンピュータと付き合う第一条件であり,計算機を使うことがプログラミングに直結した時代だったのである。

T とは違うが,私の理科の友人のひとりに,理学部の恐るべきハッカー A がいて,こんなことがあった。当時,北大大型計算機センターでは日立の HITAC S-810 というスーパコンピュータが稼働していた。A は通常はフラクタルだかなんだかの解析計算をこのマシンで走らせていたが,たまに遊びのプログラムを動かしていた。EBCDIC (ASCII のような英数字だけの IBM 汎用機コード) 文字だけでアスキーアートを描画するコードを書いて,大型計算機の 133 文字 30 行の文字しか打てないラインプリンターにアスキーアートを打ち出してくれた。ラインプリンターの出力した NIP 紙(連続紙)を一定の長さで切って貼り合わせると, 3 m × 3 m くらいはあっただろう,6 畳間の壁一面のどでかい中森明菜の美しいグレースケール写真が立ち現われて,皆で「おー」と拍手喝采した。大型計算機用の画像スキャナなんてとても望める時代ではなかったのである。どういうコード・テクニックで A がこれを実現したのか,私は計算機システムの専門家となったいまでも想像できない。

T と久しぶりに話をして,そういった往時の計算機事情にいまあらためて驚きを甦らせてしまった。