唐代伝奇

明治書院から刊行されているシリーズ新書漢文体系のなかの一冊『唐代伝奇』を読んだ。読み下し文と解釈,総合解説からなる編集はとても読みやすく,わかりやすい。このところ日中関係がギクシャクしているのではあるが,そんなの関係ねーとばかりに私はいま中国の古典小説に夢中である。

本書は数ある唐代の小説のなかから古来日本人にとりわけ親しまれている伝奇小説を精選したものである。芥川龍之介の『杜子春』(『杜子春伝』), 中島敦の『山月記』(『人虎伝』)の原作も収録されている。翻案作品はその原作と読み比べると近代的知性の特性が明らかになるだけでなく,原作独自の魅力をも発見できて面白い。

『杜子春伝』では,それが夢幻だとわかっていながら,目の前で愛する人が虐げられる光景を見せられて,道士との約束を破って主人公は声を出してしまう。芥川の短篇ではこの弱さこそが尊い人間性であるという感銘を催すように書かれている。一方,原作では,夢幻だと諭されそれを受入れた以上は,その態度を貫徹できるかどうかが問われていて,ほかならぬそういう非情な思想的境地に物語の興味が置かれている。

主旨がまったく反転しているのだが,どちらにも人間の真実がある。どちらがより人間の真理を描いているかは読む人次第だろう。私は,原作との対比でもってはじめて顕在化する芥川作品の緊張感に打たれつつ,原作の感傷のまるでないところにも惹かれた。

中国の小説は — どこの国の散文読物もそうだろうけれども — 説話,語伝えの再話というあり方に原点がある。文学的進化の過程で,唐代の小説は創作性・表現性に目覚めた芸術的志向が強くなったことが特色だともいわれている。現代の推理小説では当たり前になった暗号モチーフまで登場する作品さえある。『謝小娥伝』では,親兄弟を盗賊に殺された女主人公・小娥が父・兄の亡霊から聞いた言葉の意味を探り続け,語り手である「私」がその言葉の暗号を解読して犯人を明らかにし,小娥が復讐を果たす。

『李章武伝』は,男が死んだ恋人の亡霊と情を交わすという中国伝奇小説らしいモチーフをもつ作品である。私の酷愛する伝奇のパターンである。

昔見しと異ならず,但挙止浮急,音調軽清なるのみ。章武牀を下り,迎擁して手を携え,款すること平生の歓の如し。[ ... ] 章武倍倍与に狎暱するに,亦他異無し〔解釈:昔と変わらぬ様子で,ただ動作がふわふわとしていて,声が軽く清らかなだけであった。章武はベッドを下りて,抱きとめ,手をとって,握りしめたが,その楽しさは昔と同じであった。[ ... ] 章武はますますうちとけて契り合ったが,別に変わった様子はなかった〕
『唐代伝奇』新書漢文大系 10,明治書院 ,2002 年,pp. 62-3。

訳文はどうも色気がないが,その意を汲んだ上で漢文の読み下し文を読むと,なんとも艶っぽくてシビレてしまう。

唐代伝奇 (新書漢文大系)
内田泉之助,乾一夫(著)波出石実(編)
明治書院