張文成『遊仙窟』

プロ野球阪神戦を観,時おり便所に籠って煙草を吸いながら,張文成による中国唐代の伝奇小説『遊仙窟』を少しずつ読む。

ある役人「私」が,都から遠く離れた新たな赴任先へと旅する途中,神仙の住居に招き入れられ,妖艶な女仙・崔十娘(崔家の十番目の令嬢)とその嫂とから,豪華な食事,管絃,舞踊でもてなされ,詩文の遣り取りをし,ついに十娘と二人でお熱い一夜を過ごして別れる。そういう一人称形式の物語である。

本作品は,本国・中国では散逸してしまったが,日本では奈良時代に遣唐使によって伝えられ,その後知識層で広く読まれ,『万葉集』から『源氏物語』,西鶴,仮名垣魯文に至るまで,日本文学に大いなる影響を連綿と与え続けたという来歴がある。空海などの坊主がこんなエロ文芸本を大切に持ち帰ったなんてことを知ると,楽しくなって来る。中国では,20 世紀になってようやく魯迅が再評価し,日本の写本を元に逆輸入して,刊行したんだそうである。

四六騈儷文で書かれ,典故を踏む難解な表現に充ちた書法。そんな絢爛・豪華な文体の元で,下品なまでのエロティックな比喩表現がふんだんに出て来るという,奇書ともいってよい古典である。エロティックな作品であるとはいっても,現代の官能小説の臆面もない描写とはもちろん一線を画している。濡場の記述は以下のようなものである。

あでやかな顔が眼一杯になり,かぐわしい匂いが鼻を裂くばかり,心はうわの空で制する人もなく,愛情がこみあげてとめどがなかった。赤い褌(したぎ)に手をさしいれ,翠の被に脚をまじえた。二つの唇を口にあてて,片臂(うで)で頭をささえ,乳房のところをつかみ,内腿のあたりを撫でさすった。口を吸うたびに快感がはしり,抱きしめるたびにうれしさがこみあげた。鼻がつんと痺れ,胸がつまった。しばらくして,眼がちらつき,耳がほてり,血管がふくらみ,筋がゆるんだ。こうしてはじめて,逢いがたさ,めずらしさを感じ,かたじけなさ,もったいなさを知った。わずかの間に,数回もあい接したのである。
張文成『遊仙窟』今村与志雄訳,岩波書店,1990 年,90 頁。

「わずかの間に,数回もあい接した」男女の交わりの直接的な描写は,唯一この部分だけである。克明ではあるが,いやらしさはそれほどでもない(※)。

(※)2010.10.13 付記: その後,土屋英明『中国艶本大全』を読んで,わかるひとにはわかる内在論理がここにはあると知り,大いに驚いた。こっちのほうも読んでもらえますか?

しかし,本作品は主人公たちの交わす詩文にこそ,「おいおい」と思うばかりの猥褻がある。小刀と鞘,筆と硯,矢と的など,眼につくものを詩に詠む。これらは,言うまでもなく,男根と女陰の隠喩であって,こうした詩の遣り取りは,二人で床に就くまでの主人公の心情 — 「私」は十娘と寝たい,十娘もそれを受け容れたい — を少しずつ高めて行く変奏のようなものである。恋愛を詩で高めることこそ真の趣味人の好色。小刀と鞘の詩だけを引用しておく。

そこで,わたしは,小刀を歌に詠んだ。
 
  自憐謬漆重   塗りかためし固き縁のいとしさに
  相思意不窮   恋いしたう心の緒(いと)は絶えぬなり
  可惜尖頭物   あたら,さきのとがりし得手物こそ
  終日在皮中   ひねもす皮をかむりしままなれ
 
すると,十娘が,鞘を歌った。
 
  數捺皮應緩   おしつけるほど皮ゆるみ
  頻磨快轉多   とぐほどにすべりよく
  渠今拔出後   そをいま抜いてしまいし空の鞘
  空鞘欲如何   あとはいかになりぬらん
同書,56 頁。

「おしつけるほどに皮ゆるみ」,「とぐほどにすべりよく」なんて,下品なまでに猥褻である。これらが古典からの引用に富んだ文人趣味の高踏的文体で語られるのだから,凄い。妖艶な女と旨い料理を食い,霊妙な音楽を聴き,詩歌を吟じ,寝る。夢のような話とはこのことである。作品のなかで克明に語られる料理の品々はその名自体が神妙であって,いったいどんな食い物なんだろうかと想像を遠く翔らせてくれる。「さすが中国」と思わせるばかりである。

中国には焚書坑儒の伝統がある。もっぱら思想書が対象であったが,エロ読物も禁書のひとつとされたようである。『遊仙窟』が中国では失われたのはそのあたりの事情があるのかも知れない。そういうことを鑑みると,わが国の大らかなエロの伝統と蓄積は中国を裕に凌駕しているわけですね。

遊仙窟 (岩波文庫)
張 文成
今村与志雄訳
岩波書店

本書は,作品の訳文そのものは高々 100 ページしかないのだが,引用・典故の解説,語釈などの注解が 100 ページ,さらに原典印影が 100 ページと,学術的付録が極めて充実している。さすが岩波文庫である。また,訳者による作品解説は,本作品の好色な性質についてはひとことも触れず,文学史的価値の来歴に徹している。さすが岩波文庫である。