大阪帰省・京都

父が心筋梗塞で倒れたとの連絡があり,急遽,妻,娘と三人で帰省した。父は,幸い,すぐ病院に担ぎ込まれて,カテーテルを入れ,血管の詰まりを除去した結果,命を取り留めた。

主治医の病状説明では,父の心臓は血液が行き渡らなかった間に 30% 程度が壊死してしまった。でもこれは,車のエンジンの排気量が 3000cc あるものもあれば 1000cc のものもあり,1000cc 車でも何の問題もなく走行するのと同じで,普段の生活にはなんの支障もないらしい。カテーテル治療の間に二度心臓が停止し,電気ショックで復活したという。医師の手際のよさに感謝した。

説明のなかで,治療中に撮影した患部の動画を見せてくれた。カテーテルを通して詰まったところのゴミを吸引し,スプリング付風船を膨らませた瞬間に,血液がパッと流れ出す様を見せつけられて驚いた。いまはこういうダイナミックな治療説明をするんだと感心した。

父の治療をしたのは大阪府松原市にある徳洲会松原病院である。鳩山首相が徳之島に基地移設説明をするに先立って相談をした徳之島の名士・徳田虎雄氏が設立した病院の第一号である。同じく徳之島出身の母は古くからこの病院のお世話になっていた。

院内掲示板には医療講習会のポスターが張られていた。数年前,臓器売買斡旋疑惑で世に叩かれた宇和島徳洲会病院・万波誠医師が講演者に名を連ねていて興味深かった。なにしろこの人,腎臓移植のゴッドハンドとして聞こえている斯界の権威である。彼はバカなマスコミ,そして,匿名医師が立てたと思しき2ちゃんねるスレッドに,相当叩かれたのだが,まだまだご健在の様子,私は頼もしく思った。

徳洲会は既得権益に腐敗した医療界の異端児として登場し,かつては方々から攻撃されたようである。この腎臓移植問題もおそらく誰かのやっかみだろうと当時私は思ったものである。この医師に助けられた人にとって,こんな「疑惑」スキャンダルなど医学倫理にかこつけた偽善以外の何ものでもないと思われたに違いない。

どうも,日本の医療サービスは,ガラパゴス化日本の典型であり,規制が多くて身動きできない体たらくらしい。そうそう,私は吉川尚宏著『ガラパゴス化する日本』をこの帰省の間に読み,草食男子社会・ガラパゴス化ダメ・ニッポンにいよいよ危機感を募らさせられた。

とにかく,私の父も救ってくれて,徳洲会病院には私は感謝に堪えない。父は翌日には話をするようになり,ICU から出て一般病棟に移った。個室なのに一日 6,300 円という費用の安さに驚いた。もう尿器も,点滴も取れて自力歩行できるようになり,テレビでタイガースの野球と将棋の対局ばかり観ている。それでもやはり退屈だろうから,私はエロ雑誌を買って差し入れてやった。エログラビアなんて老人の心臓によくないって? 心筋梗塞は心臓病ではありません。

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父を見舞った翌朝,自転車で散歩に出た。大学に入ってからは,帰省したとき,駅と実家の間の道しか往来しなかった。私が通った学校などの様子を久しぶりに見たいと思った。老いた父が危ない状況なので,私も少し懐古的・感傷的になっていたのかも知れない。

小学生のころ住んでいた集合住宅地,中学時代の友人宅付近などを巡ってみた。もう往時を偲ぶばかりで,見知った建物はもはやなかった。表札も知らぬ名前ばかりだった。少年のころ悪童ばかりが住んでいて怖くて近づけなかった長屋も,一戸建て住宅に建て変わっていた。国道 309 号沿いにあった,中学時代の友人の両親が経営していたお好み焼き屋も,あとかたもなかった。私の通った市立松原中学校は校舎が新しくなっていた。

中学校の近所にある丹比・柴籬神社にも行ってみた。この小さなお社は 18 代(北畠親房の『神皇正統記』では 19 代)反正天皇をお祀りしている。門には十六八重表菊の紋章。建立は 5 世紀後半ともいわれている。ここは古代,柴籬宮があったとされる地である。賢み,賢み。

西鶴の「むくけうへてゆふ柴垣の都哉」の句碑にはじめて気付いた(「うへて」は「うゑて」じゃないのか,という旧仮名バカは西鶴とは無縁である)。木槿の白い花。子供のころにはそういうところにはまるで関心が行かなかったようである。

父の快癒,家族の無病息災の願をかけた。私の打った二拍手は,静かな朝の誰もいない古社に,少し間抜けに聞こえた。

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今日,川崎に戻る前に,折角だから京都に寄って帰ろうということになった。といっても,数時間しかないので,地下鉄四条駅前・烏丸通りから四条通りを河原町通りまで歩いて,高瀬川沿いを行き,鴨川を観るだけと決めた。

高校時代以来,私は京都が好きで何度もこの古都を訪れた。でも,首都圏に住み着いてこのかた,この界隈を歩いてからもう何年経つだろうか。河原町商店街のゲームセンターで,記念に家族三人でプリクラを撮った。周りは小ギャルだらけで辟易。

そのあと,木屋町通り裏手の狭い路地に居並ぶ京都らしい飲食店を観て歩いた。短い時間だけど京都らしい町並みを観た気分になった。鴨川に面したスタバでコーヒーを呑み,綺麗な女性店員に記念写真を撮ってもらった。

途中,『京都タウンサーチ』という京都案内の無償小冊子をもらった。なんのことはない,古都のキャバクラ,ラウンジなどのガイドブックであった。そうだ,河原町から祇園にかけては京都随一の色町なのだった。京都らしい和の趣のある店構えと居並ぶ女たちのギャルぶりとのアンマッチがおかしかった。

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京都駅にいつの間にかできた巨大な伊勢丹デパートの飲食店街でイタリアンを食った。値段の割りにたくさん食えて満足。娘は名前がいいと言って,あるノンアルコールのカクテルを注文した。ヴァージン・セックス・オン・ビーチ。なんでこんな名前が付いているのか知りたかった。処女の浜辺での初体験のように甘美だというのか,それとも苦渋だというのか。そのカクテルは甘いか,苦いか,娘には聞けませんでした。