川崎市のおもしろ本

先日,シャガール展に行った帰り,川崎 BE の有隣堂でマイクロマガジン社から出た『これでいいのか川崎市 日本の特別地域・特別編集』なる雑誌のような本を買って来た。表紙にはデカデカと『東西冷戦激化中!』との見出しが。私はこの手の地元情報誌が大好きである。

私は川崎市幸区民になってちょうど二十年になる。電機メーカーに就職し,結婚して,築四十年のオンボロ 2K 社宅(窓から自社情報システム部門のビルが見えた)に詰め込まれて以来,この界隈に住み付いてしまった。いまは再開発から取り残され,細い道が曲がりくねった古い住宅街に居を構えている。川崎は,旧東海道の宿場町にして,ドヤ街あり,競馬場あり,一大風俗街あり,やるせないくらいの古い団地群あり,大工場あり,で昔から「穢い,危ない,怖い」町として見られて来た。『あしたのジョー』の荒んだイメージの町である。ごくごく狭いエリアで「呑む・打つ・買う」が出来る日本で唯一の街であろう。

もちろん,そうは言っても朝日新聞的清潔漢が支配する現代日本であってみれば,私が川崎に住みはじめたあたりから,東芝や明治製菓などの工場が次々と他所に移転し,その跡地の再開発が進み,ミューザ川崎・超豪華クラシックコンサートホールなどもできて一大文化都市に生まれ変わりつつあり,もはや川崎は「危険な」感じはしなくなっている。それでも川崎は,ちょうど東京都と横浜市の間にあり,この二つの都市が日本を代表するハイソな地域であってみれば,川崎市のレベルがいよいよ低く見えてしまうわけである。大洋ホエールズも讀賣ヴェルディもイメージの悪い川崎からそれぞれ横浜,東京へ逃げ出した。よってもって川崎市民は東京都民,横浜市民に対して尋常でないコンプレックスをもっている。

本書『これでいいのか川崎市』は,川崎市のこうしたせつない側面を面白おかしく捉えた,地元民でないと appreciate 不可能な細部に拘ってまとめられた地域コラム集といってよい。「東西冷戦」という表現は,川崎市に住む者ならすぐピンと来る。つまり,川崎市は東京都・横浜市と対照的な荒んだ都市イメージがあるのだが,川崎市そのものも,東西(見方によっては南北)に長い地勢にあって,内部の東西格差が極めて激しいという特徴がある。すなわち,川崎区,私の住まいである幸区のある東側と,麻生区,多摩区,宮前区のある西側とを比べると,上記川崎の一大イメージ「穢い,危ない,怖い」,「呑む・打つ・買う」は,ことごとく東側の地帯に集中しており,東部地帯こそが荒んだ印象を川崎市全体のものとして全国にまき散らしているわけである。川崎区には京浜工業地帯の大工場群があり,川崎区・幸区はいまだに光化学スモッグ注意報が出るくらいなのである。それに対し,西側は小田急や東急の沿線でもあり,東京の大企業のエリートサラリーマンのベッドタウンであり,田園地帯も広がり,町も清潔そのもの,主婦もハイソな雰囲気を漂わせている。西のハイソ,お受験,お金持ち。東の団地,工場・臨海コンビナート,ビンボー,やくざ,競馬場・ギャンブラー,ソープ,キャバクラ,ホームレス,外国人労務者。日本の平均乗車人口において五本指に入る一大ターミナルがあるかと思えば,浜川崎線のような無人駅地帯がある。川崎市にはこうした極端な分裂がある。

学校なども,西は優等生の多い学園らしい学校が多いのに対し,東は学級崩壊は当たり前の荒んだスラム的学校が多いと聞く。私の娘は高校になって多摩区にある進学校に通うようになったが,生徒の多くが西部の中学校出身であって,デキがまるで違う(成績の話ではなく生活態度,考え方)のにびっくりしたらしい。幼いころの娘の友達には母子家庭の子や,親が離婚寸前で寂しそうな子が多くて,いとおしかった。娘が中学校時代の友達と撮ったプリクラを高校の同級生に見せたところ「東の学校だってすぐわかる」と言われたらしい。西部地区の人たちは,こういうところからも,東部地区を蔑んでいると知れるのである。

それでも,私はこのせつない都市・川崎,そう,私の住む東部地区こそが好きである。このガラの悪さ,不潔感,澱み感は,私の生まれた大阪を思わせるものがある。天王寺,新世界,鶴橋,十三あたりの雰囲気である。まさに日本の近代化のハキ溜めのようなトポスであって,私などはそこに強い郷愁を覚えてしまうんである。川崎駅東口の砂子(いさご)町,堀之内,南町の商店街・風俗街のゴミゴミ感,一種独特の荒んだ寂しい風情には人生の哀愁がある。川崎競馬場,競輪場がそのすぐそばにあり,川崎区は「呑む・打つ・買う」を極々狭い区画に凝縮した,近年の日本では恐ろしく珍しくなった地区なんである。私は南町にある川崎ロック座(言わずと知れた浅草ロック座の姉妹劇場である)にストリップを観に行きたいと思っているが,まだ果たせないでいる。川崎駅周辺のごく狭い地域に堀之内,南町とソープランド,ヘルスの一大風俗エリアが二つもある。夜の 9 時を過ぎ,37 番街付近を歩いていると,その筋の女によく声をかけられる。キャバクラやちょんの間の袖引きがウジャウジャいる。新川通り沿いでは,ホームレスが頬杖ついてカップ酒を呑みながらダンボールで横になっている。『これでいいのか川崎市』にも,これこそ日本の高度経済成長を支えた成れの果てとして愛着を感じるとの記事があった。

J1 川崎フロンターレは川崎を愛し,川崎市民から熱烈に支持されている。私は富士通も東芝も商売敵であるが,サッカー J リーグ,都市対抗野球ではやはり地元川崎のフロンターレ,東芝野球部を応援してしまう。フロンターレにいた FW チョン・テセも,コリアンタウンのある川崎の象徴のようでもあり,どこのチームに行こうが応援したくなる。一方,ホエールズ,ヴェルディはというと,川崎を去ってからそれぞれリーグのお荷物チームに成り下がった。ヴェルディに至ってはハイソぶりの徹底した讀賣から見放されてハイソぶりでも自滅したわけだ。ざまぁ見やがれ。俳優の東山紀之は,わが幸区の出身であり,最近,著書『カワサキ・キッド』を出版した。これは彼の少年時代の思い出のようだけど,タイトルからしてこの哀切なる川崎という町に生まれ育ったことへのこだわりがひしひしと伝わって来て,私はこれをぜひ読んでみたいと思っている。