阪神首位陥落・伊藤計劃『虐殺器官』

讀賣 VS 阪神戦を観た。テレビで観た時くらい勝ってくれよ,タイガース。なんとなく予想できた三連敗。あのヘボ投手陣じゃ,いくら打線が点を取っても,讀賣には敵わない。三日天下でした。

まあ,讀賣もあの投手力じゃ,今年はダメでしょう。讀賣も阪神も,昨年から投手力が課題だとはっきりわかっていたのに,前者は長野,後者は城島と,新戦力テコ入れの考え方がまったく理解不能である。おそらく,どちらも,投手力・攻撃力のバランスの素晴らしい中日には敵わない。今年の予想:1.中日,2.讀賣,3.ヤクルト,4.阪神,5.広島,6.横浜。
 

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伊藤計劃『虐殺器官』を楽しむ。あまりの面白さにすぐ読了した。これは近未来のテロ核戦争時代を描いた SF だが,先進国の富や平和が,途上国の屍の上に成り立っていることを寓意する意味で,まさに同時代を見つめるものである。

オバマ大統領のプラハ演説以来,核兵器廃止への国際的ムードが高まっているけれども,一方で核拡散のリスクが高まり,中東のキナ臭さはいつ発火してもおかしくない情勢である。本書ではテロリズムによってサラエボで限定的核攻撃が行われ,インドとパキスタンが「管理された」核戦争を起こしたことが語られている。「核兵器は人類を滅ぼす」というヒロシマ・ナガサキ神話が崩壊した世界である。核廃絶の世界と人類滅亡との間のこの中途半端な地獄絵が,じつはもっとも起こりそうな近未来である。

作中人物の見方として次のようなくだりがある:

考えてみれば当たり前なのだが,一般市民にとって愛国心が戦場に行く動機になったのは,戦争が一般市民のものになった,言うなれば民主主義が誕生したからなのだった。自分たちが選択した戦争なのだから,そこに責任が生ずるのは当たり前だ。その責任がいわば,愛国心というやつだった。
伊藤計劃『虐殺器官』ハヤカワ書房,2010 年,p. 370。

本書のテーマは一般市民が担うべき戦争の罪と罰である。

本書の著者は 35 歳の若さで昨年亡くなった。若い世代にこのような目線で想像力を形にできる人がいることに,心底頼もしい気持ちになった。いろいろな感慨をもたらしてくれる本作品ではあるけれども,今日はこのくらいで。