東洋経済新報社が発行する『週刊東洋経済』2010.8.28 号に『遂に逮捕者! 迷走する特許庁システムの隘路』なる記事が掲載された。業界紙であるから省庁関係者が実名で書かれている。記者は経済ジャーナリストの山崎康志氏である。
先日,私はこの逮捕劇についてただのチクリだといい加減なことを書いた。この記事は新事務処理システム開発を巡る特許庁のせっぱつまった事情が背景にあることをきちんと書いていた。経験のない東芝ソリューションが超安値で新システム設計を落札した結果,システム開発が暗礁に乗り上げ,にっちもさっちも行かなくなった状況で,特許庁の仕事熱心な担当者が善後策を講ずるなかで NTT データ社員と贈収賄関係に陥ってしまった。そういう事情がきちんと書かれていて,私はさすが業界紙だと感心した。「誤解を恐れずに行政の実態をいえば,こういうことは時々起こる。[ ... ] 特許庁は二度目のシステム稼働延期を認めた頃から,東ソル [東芝ソリューション:私註] に見切りをつけたといっていい。NTT データをシステム開発に取り込む声が高まり,東ソルを技術的に支援させることで立て直しをもくろんだのだ」(『週刊東洋経済』2010.8.28 号,p. 22)。
それに比べ。『入札タテに『おねだり三昧』…汚職の特許庁官僚はロックバンドのボーカルだった』という記事をご覧あれ。産經新聞・iza によるこの無記名のバカ記事を。「収賄容疑で警視庁に逮捕された特許庁先任審判官の志摩兆一郎容疑者(45)は,自ら“おねだり”し,長年にわたってタクシーチケットや飲食費を業者にたかり続けていたとされる」—「おねだり三昧」などとまるで自分がその場に居合わせたかのように平気で「創作」する,要するに,「ウソ」を書く。なのに一方で「... とされる」などとことばを濁す。責任回避を目論む偽善的書き方。「同業他社に事務処理システムを落札され焦った業者と,うまい汁を吸いたい官僚。そこには欲でべっとりと絡み合った官業癒着の姿があった」— ここには,その背景について何の調査も,理解もない。これは,ただのスキャンダル好きの,ただのスキャンダル好きによる,ただのスキャンダル好きのための,偽善に満ちた品性下劣な記事でしかない。上の『週刊東洋経済』記事と比べると,この記事は警察の発表と容疑者の個人情報・私生活の断片から創作されたに過ぎないことがはっきりわかる。机に座っていただけでも書ける記事。これを書いたバカ産經新聞記者の頭のなかには,官庁の仕事の取材に基づく問題構造・内在論理への志向ではなく,「おぬしもワルよのう」式通俗的官業癒着「ストーリー」しかないのだ。なんとわかりやすいこと。なんと浅はかな固定観念。
報道として有害ですらある。このわかりやすい,陰険な匿名根性をくすぐる記事にトラックバックをつけた一般市民のブログを,このバカ記事のリンク(「このニュースのブログエントリ」)からみるがよい。この記事が「ストーリー」でしかものごとを見ない人たちを量産していることがよくわかる。「ストーリー」に毒されたアタマは,自分の知らない他人を「犯罪者」というだけで「悪の権化」に仕立て上げるのに,何の疑念もない。これらのブログでも,この手の贈収賄の犯罪者は無期懲役にするよう法改正せよと主張したり,志摩容疑者を「新種の社会のダニ」などと極め付けるなど,被疑者の人間性を否定すらしている。「お気楽」の一言である。こんなのがブログランキングの比較的上位にいるんである。この記者にしてこの読者,そのブログを支持する読者たち。産經新聞のビジネスが成り立つわけである。
私がこの産經新聞記者をバカ呼ばわりするのは,彼が事実の論理的組立て・仮定の裏付け取材で記事を書くのではなく,既定の安易な癒着「ストーリー」を通してしか事実を見ていないからである。「ウソ」,「創作」と私が言う所以もそこにある。産經新聞(=三流新聞)記者のこの記事には,ものごとの本質というものへの眼差しがまったく欠けているのである。右から左にものを移している(自分で取材をせず警察の発表や外電をそのままいただく)だけなのに,そこに薄っぺらいジャーナリスティックな「ストーリー」をまぶして己の「個性的」な仕事をしたつもりになっている。現代日本の一般紙・大新聞のレベルを象徴している。このお気楽な「ストーリー」へのあてはめは,小沢報道の「金権」,鳩山報道の「ブレ」など,枚挙に暇がない。これが「報道のプロ」の仕事というものなんだろうか?
志摩兆一郎容疑者は,日本の技術立国を支える特許庁システムのために,汗水たらして働いた。『週刊東洋経済』記事から,これは疑いがない。それが,何も知らない,取材すらしない産經新聞記者のようなバカどもから「おねだり」,「欲でべっとり」などと根拠ない悪者「ストーリー」で塗れさせられ,嘲られる。志摩氏のやったことは結果的に犯罪でありその責任を問われて当然ではあるが,彼の人間性を否定することは許されない。この事件を「面白がっている」バカ産經新聞記者の品性下劣を目の当たりにして,『週刊東洋経済』記者のように,きちんと見てくれている人もいるのだということを彼に伝えてあげたい気がする。