映画『殺人の追憶』

映画『殺人の追憶』は 2003 年,韓国製作の犯罪ミステリーである。監督・脚本ポン・ジュノ,主演はソン・ガンホ,キム・サンギョンほか。

韓国のエンターテーメントというと,最近ではなんといっても恋愛ドラマ。いわゆる「韓流」は安定したジャンルとなった。最近の希薄な人間関係・薄情な世相に嫌気がさして絶望寸前にある日本のオバ(ア)さんたちから,絶大なる支持を得ている。男優も,女優も,話の作りも,「純愛」のリアリティをいまだに失っていないところにその魅力があるのだろうと私は思う。確かに「韓流」俳優には,かつての「スタア」の面影がある。日本の俳優が堕してしまった「イケメン」,「カワイイ」の情けないくらいの薄っぺらさ・安っぽさを,免れている。

私はというと,チェ・ジウやキム・テヒの美貌には納得できても,「韓流」恋愛ドラマには,どうも満足できない(純愛よりもドロドロが好きなだけなんだけど)。しかし,オバさんたちからあまり騒がれることのない韓国ミステリー映画は面白い。『殺人の追憶』はなかなかの味わいがあった。この映画は,1980 年代に韓国国民を震撼させた,現在も未解決の連続女性殺人事件(華城連続殺人事件)に基づいている。ネタバレになるかも知れないが,映画の魅力の本質とは関係ないので書いておく。この事件を追う二人の刑事の視点から物語が描かれる。

農村と近代的な大工場とが共存する地方が舞台である。農村というイメージには「美しい自然」という紋切型が付いて回るが,この作品にはそういう郷愁がカケラもない。目的が近代的生産に限定される巨大な「工場」のカタカタ稼働する「農村」は,それ以外何もないという,息苦しくて逃げ出したくなるような重い閉塞感に充ちている。映像もそれをよく表していた。農民・古い住民と雑多な工場労働者とに現われる,人間関係の濃い,薄いが,連続殺人の猟奇的恐怖を掻立てる。主人公の関る登場人物は,どういう生い立ちをし,どこから来て,どんな人となりなのか,それがまったくわからない。農村で生まれたから,あるいは,工場で働くためにやって来た。ただそれだけ。なぜ殺されなければならないのか。なぜ殺すのか。この「わからなさ」。作品の本当の怖さはここにあるのである。底なしに暗い。

知的障害のある貧しい若者がどうも犯行を目撃したらしいのだが,主人公の刑事は彼から何の手がかりも引き出すことができない。私の幼いころの記憶が甦る。近所に少し気の触れた,どこの誰かも知らない兄ちゃん(「あーやん」と私たちは彼のことを呼んでいた)がいた。草野球をしていると彼が外野のほうからじっとこっちを見ているのに,何の異常さも感じなかった。私は,映画のこの知的障害者を見て,少年時代には気付かなかった秘かな鬼気に触れた心地がして,身震いした。記憶のなかのあーやんは「何かを見た人」だったのではないかと。

工場労働者のオタク風の若者など何人かが疑われる。主人公は犯人を追いつめた瞬間を感知しつつも,その考えはことごとく外れてしまう。そして,犯人・動機がわからず仕舞で物語は終わる。ミステリーとしては,あの真実が明らかになる大団円のカタルシスの決定的に欠ける映画である。なんだこの映画。でも,この疲労感,閉塞感,無力感は,現代韓国の何かに目覚めた人の現実感覚なのか,という思いに至るのである。解決をしないがゆえに何かを感じさせる,珍しいミステリーである。

舞台は,そのことばの本当の意味で,「美しい自然」などという牧歌を拭い去られた「田舎」である。映像の「味」,「色」は,いまの日本人の趣味に合わないと思う。虚飾に慣らされた趣味は,この映画の醸し出す現実性には耐えられないだろう。
 

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アミューズソフトエンタテインメント (2006-06-23)

『殺人の追憶』の表現は日本の 60--70 年代の暗くじめじめした映画(非大衆嗜好の作品)を思い起こさせる。おまけに,そんな日本映画とは違い,当然ながら「サヨク」的狡猾さがまるでない(韓国人にしかわからないポリティカルな何かはあるかも知れない)。韓国にはまだまだこうした優れたミステリーがあるはずである。ちょっと探していろいろ楽しみたいと思っている。日本の日活ロマンポルノのようなエロ映画もあるに違いなく,そういうものもぜひ観てみたい。