死刑制度・時効撤廃

麻薬密売をした邦人の死刑が中国で執行された。日本国内にはこのニュースに対して「遺憾」との声がある。でも,それじゃ死刑そのものにどうして異論を唱えないのか? 中国は自国の法に則って死刑にしたに過ぎない。死刑を認めるとするならば,という限りにおいて,麻薬密売犯など「死刑」にしてしまっても,私は別になんとも思わない。死刑が被害者遺族の思いで正当化されるのならば,麻薬で廃人となった人の肉親にとっては,麻薬密売犯の罪は死に値するはずである(麻薬に手を出した本人が悪いというのはもっともかも知れないけれど,市場を形成する構造的問題に関る者,要するに麻薬で儲けている者はもっと悪い。ノリピー・押尾学報道の愚かさは,この点をまったく無視していたことにある)。

公訴時効見直しの世論に押され,刑訴法改正案が国会で審議されはじめた(どうも千葉景子法相はこれをこそ己の政治成果にしようとしているようである。どう考えても「罪人」とは思えない民主党・石川議員が逮捕されるを傍観しておきながら,大した善人である)。凶悪犯罪の時効撤廃はよいことだと思う。

一方で「死刑判決」がこれまで以上に慎重になるはずである。いい加減な捜査,検察の言いなりの裁判が仮に明るみに出ても,真犯人の捜査を再開できることになる。取り返しのつかない判決を急ぐ必要がなくなるからである。もし菅谷さんのような冤罪で,仮に死刑が執行されたとしたらどうだろうか。誰がどのような責任を取るのか。菅谷さんは裁判所のヘボさ加減があまりに酷かったので逆に救われたわけだけど,仮に死刑が確定し,さらに執行されたあとに冤罪が明らかになっていたら,警察も,検察も,裁判所も,信用がまるつぶれになるだろう。特にこの裁判に関与した,検察の言いなりの,不作為の裁判官たちは,いまごろ死刑判決を出さなかったことで胸を撫で下ろしているに違いない(というか,己の体面を取り繕うのに懸命なだけか)。

こういうことを考えると,時効撤廃は,被疑者否認の裁判において,おそらく死刑判決を減らす役割を果たすだろうと私は思う。時効の無い国家・社会では,死刑が実質廃止されているのはこういうことだと思う。