大叔母の葬儀

心臓を患っていた大叔母が亡くなった。三月の連休に帰省して病院の彼女を見舞った時,体が小さく見え余命のほどが察せられ,思わず大叔母の手を握りしめてしまった。でも,その時がこうも早く来るとは思わなかった。大叔母は大正十四年生まれ,三島由起夫とほぼ同じである。享年八十五。鹿児島県徳之島の生まれである。

今日の葬儀のために,昨夜十一時頃大阪・松原の実家に着いた時,かしましい徳之島方言が居間から聞こえて来て,何事かと思った。亡くなった大叔母の妹が通夜のあとうちに来ていたのである。両親と島口でしゃべっている。が,私にはまったくわからない。

「いま徳之島は凄いことになってますね」と私が水を向けると,「ああ,基地なんてみんな反対じゃ。カネに目が眩んで賛成しとるのは三人しかおらん。総理大臣のことを島ではハトと言いよる」というようなことを元気にまくしたてた。賛成が本当に「三人」しかいなくったって,政府が決めれば基地移設は行われるだろう,でもそれはハトによらず今までの常道ですよ,というようなことは私は言わなかった。

このお婆さんも八十三。子,孫,曾孫,玄孫合わせて四十人いて,面倒が多いと大笑いしていた。彼女の発音を聞いていると興味深い。歴史的仮名遣い(字音仮名遣い)では「会社」,「映画館」を「くわいしや」,「えいぐわくわん」と記すが,彼女は "quaisya","ēguaquan" とでも写したくなるような,まさにそのとおりの発音をした。亡くなった祖父もまったく同じであった。古い音が辺境では残っているのか,歴史的仮名遣いを表記通りに発音する習慣があったからなのか,歴史音声学に詳しくない私にはわからない。

故人が大往生したということもあり,葬儀の参列者には年寄りが多かった。便所の「姫」の扉の前に「婆」ばかりが並んでいた。出棺,火葬の直前を除き,涙はなかった。「いい葬式じゃ」と大叔母の妹婆さん。昔,ある徳の高い禅僧は,「何かめでたい書を」と乞われて,こう書いたそうである:「祖死,父死,子死,孫死」。故人は幸いにも逆縁には遇わなかった。参列者は皆,故人より若かった。「いい葬式じゃ」か。

大叔母の世代は,現代史の辛酸を舐めた人たちであり,半端者が少ない。肚の据わり方が凄い。この大叔母,十年前に亡くなったその夫とともに,戦中・戦後のどさくさを生き抜いた。ともに戦争で男兄弟を亡くした。終戦直後は,台湾と本土との物流関係でかなりヤバい仕事もやったらしい。私の父母のような,島から上阪して来た無学な田舎者の面倒を何人も見,四人の子供を育て,七人の孫の世話をして来た。

私も,父母がまだ若く甲斐性も暇もないころ,大叔母宅(生野区寺田町にあったので,「寺田町のおばちゃん」と呼んでいた)に預けられていたことがある。厳しい人だった。町工場に勤めていた仕事中の母に,大叔母に黙って,会いに行ったり,白飯に醤油をぶっかけて食っているのを見つかって,彼女にこっぴどく叱られたことを私はよく覚えている。

大叔母,その次の父母の世代を思うたびに,そのあとの世代に対する物足りなさをひしひしと私は感じてしまう。文学だって,三島由起夫,安部公房(大叔母と同じ),その次の開高健,大江健三郎(父と同じ)の世代と比べると,それ以降の作家たちはいきなり質がどん底に落ちた観がある。これは私の勝手な印象ではない。私が女性知識人としてもっとも尊敬する米原万里は,次のように書いている。

[ ロシアの:私註 ] 友人は,今ロシア文学は空前の活況を呈していて次々と面白い本が出ていると自慢。さらに「今度出た現代日本文学のアンソロジーは」と言って口ごもるので問いつめると,「かつて大江健三郎や安部公房で日本文学に魅せられたロシア人は長らく禁断症状に苦しんでいた。経済が破綻して出版社は日本文学の翻訳に手を出せずにいたから」と言う。「今度の二巻本には飛びついた。でも,あまりの退屈,底の浅さに愕然とした」。
米原万里『打ちのめされるようなすごい本』文春文庫,2009 年,51 ページ。

「底の浅さに愕然」— 痛烈。だが,紛れもない現代日本文学の現実。井上ひさしも亡くなっちゃいましたね。あああ。

 
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帰省して親父と呑んだあと,ひとりテレビを観るともなく観ていたら,『ハナテン』という関西では有名な中古車販売会社のコマーシャルがかかった。シーツに包まった裸の女が「アナタ,クルマ売る?」とウッフン声でそそる。これ,私が物心付いて以来,まったく変わらないハナテン CF の流儀なんである。小学生の私はときめいたものである。

関西にはまだこの伝統が生きていたのかと私は少し嬉しくなった。マスプロアンテナも「見え過ぎちゃって困るのー」とスケスケ・ルックの女性が登場する CF をまたやってくれないものだろうか(酒に酔って裸になったタレントが地デジ CF から降ろされてしまうこの現代ではありえない)。昔の,こういう昭和エログロ風の「下品な」 CF は,圧倒的な印象を残したと思う。

最近,エロな CF や深夜番組は,世の清潔漢のおかげでテレビから一掃されてしまった。公共性の高い場にヌードポスターを掲示するなんて,ありえない時代になった。ニッセイのおばちゃんからもらったヌードカレンダーを何気なく職場の机上に飾って使うなんて(私は入社三年目くらいまでは,もらったヌードカレンダーに会議日程なんかを書き込んでいたものである),セクハラとして今や絶対に許されない。

私の小学生のころは,日活のポルノ映画やストリップ公演の宣伝ポスターを,街の至る所で目にしたものである。近所のスーパー・イズミヤ(関西を中心に展開していたスーパーマーケットチェーン)の日用品・インテリヤ売場のような市民的な空間にすら,麻田奈美や秋吉久美子のヌードポスターが堂々と飾ってあった。とくに麻田奈美のあの伝説的な林檎ヌードに — 小学校五年生くらいだったと思うが — 子供心にもショックを受けて,友人を誘ってイズミヤによく観に行ったものである。そのころのヌードグラビアやポスターは,非日常の作為に満ちていて質が高かったと,私は今にして思う。

最近は,セクハラ防止や教育上の配慮で,公共の場からセクシュアリティ,エロスを徹底的に排除しようとする傾向がある。子を持つ親として,社会人として,私は悪いことだとはさらさら思わない。でも,こんなに清潔感漂う上品な街角では,少し横道に逸れプリクラなんかを覗くと,「殿堂」と称する投稿機能(知っている人は知っている。私は娘に教えてもらった)で,セックス・プリクラ写真が小学生にさえ閲覧できるようになっていたりする。もちろん,インターネットでちょっと検索すれば海外の無修正ポルノ動画が誰でも簡単に見られる。

子供と大人の世界がボーダーレスになり,子供の眼からいくら必死に隠そうとしたって現実問題として無理な世の中になってしまっているのである。外見では清廉に見えるのに,ちょっとウラを覗けば,昔の大人が卒倒しそうな,作為のない,醜いことこの上ない日常的猥褻が溢れ返っている。

どうも,昔の下品な時代のほうが,まだ「まともな」性の幻想で子供も癒されていたと思わないではおれない。見たくもない一般人による穢いモロ出しおまんこ画像(作為なき日常性)と,プロの写真家による麻田奈美の綺麗なヌード(作為に満ちた非日常性)とで,どっちがよいかは歴然としている(と私は思う)。どっちも悪いという人は — 少なくとも私はそんな人を信用しない。