帰省,『懐風藻』大津皇子辞世

亡くなった大叔母は近鉄南大阪線古市駅近くの青山の住宅街に住んでいた。自宅前に児童公園があり,青山古墳に接していた。この前方後円墳は誰の陵か,私は知らない。もうここに来ることもなくなるのか。

青山は藤井寺市であるが,すぐ隣接して羽曳野市白鳥がある。古市駅すぐにある白鳥古墳は,かの日本武尊の陵である。このように,古市付近は大規模な古代古墳群で有名である。日本武尊があの有名な「倭し麗し」の国偲びを歌って身罷ったとされる三重の能煩野から,白鳥となって飛び立ち,羽を曳くように降り立った地ということで羽曳野の由来がある。わが国の神話と直接に繋がっている土地柄である。

近くには謡曲『道明寺』で知られる道明寺がある。憤死した大津皇子が葬られた二上山も遠望できる(私は謀反の疑いで自害させられたこの皇子の墓を訪れたことがある)。古代の死臭のする地域である。

大叔母の骨を拾いながら,日本で最初に火葬に付されたのは持統天皇だったっけ,灰と化すことは古代の復活信仰の終焉だと誰かが言っていたなあ,などと古代の死と親族の死を重ね合わせてしまった。次は,『懐風藻』に収められた大津皇子辞世の五言詩。

 臨 終

金烏臨西舍    金烏 西舍に臨み,
鼓聲催短命    鼓声 短命を催す。
泉路無賓主    泉路 賓主無し,
此夕誰家向    此の夕 誰が家にか向かはん。
『王朝漢詩選』 小島憲之編,岩波文庫,1987 年,26 頁。

私はこの詩(五言古詩だからか押韻も平仄もメチャクチャだが,死を前にしても詩を詠まずにはおれない心情に私は心惹かれる。行末の仄韻が痛い)を小島憲之編『王朝漢詩選』(岩波文庫,1987 年)で読んだのだけど,残念ながらこの版はすでに絶版になったようである。その代わり,今は『懐風藻』の全編とその注解が文庫で手に入る。古代の日本人の漢詩集は,玉石混淆とはいえ,万葉集とはまた違った端正さがある。
 

いま大阪,奈良は,平城遷都 1300 年祭の広告で満ちあふれている。どこに行っても,せんとくんがいる。このせんとくん,公募で採用されたときは「キモイ」とさんざん批判されていた(こんなのに目クジラを立てネチネチと批判する書き込みを読んで,ヒマなヤツがいるもんだと面白かった。他人のことは言えませんけど)が,今はなんの抵抗もなく親しまれているようである。

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