仕事のはなし — 神は存在するか,15字以内で述べよ

システムエンジニアは仕事柄システム障害に見舞われることが絶えない。その復旧対応がひと段落するとただちに文書で顧客に報告しなければならない。先日も,とある顧客システムでエラーが出た。情報収集・リカバリ対応作業に引き続き,私は子分に「お客の定時までのあと 3 時間で報告書を書いてオレに見せろ」と要求した。障害が顧客の上層部に伝わっていることを知り,その日のうちになんらかの形で報告書を出しておかないとまずいことが起こると判断したからである。「そんな短時間ではきちんとした報告書を書くのは無理です」と若い担当者の反抗に遇った。「お前なあ,3 時間といったら 3 時間で持って来い」。これをパワハラだ,上司の無茶苦茶な要求だ,などと考える者は,仕事をなすべき企業には不要である。3 時間で作らなければならないときは 3 時間で可能な範囲で形にする,というのが仕事でいちばん大切なことなのである。

仕事の成果を構成するパラメータはいろいろあるが,「納期」・「金額」・「仕様」の三つが一般的である。そして,この三要素こそがモノ作り神学における三位一体,「技術」の核心であって,具体的案件についてこれらを定義できる — すなわち見積りができる — 者のことを「技術者」と呼ぶ。それゆえにこそ,企業の見積り取纏回答責任部署を — それが実際は実務をせず仕事の具体的な中味を知らない集団であっても —「技術部」と称したりするのである(こうした部署は,案件の中味を何も理解していない点において,現場の社員から皮肉に眺められることがあるが,現場が見落としがちの法制度 — 輸出管理関連法,PL 法,特許法等々 — との整合性をきちんとチェックするという崇高な役割をも担っている)。そのうち「納期」=時間がもっとも大事なものであると私は思う。もちろん三位一体なのだから金額・仕様とセットで捉えられた時間である。なぜなら,時間は後戻り修正できないからである。期限を超過してしまったその先に何が起こるか,人間には予測できないからである。

でも,この反抗的な私の部下のように「いいもの,満足できるもの」を求めるがゆえに,その時間では無理という人が結構いる。「いいもの」とは何か。納得できるものか。なら誰が納得するものなのか。顧客か。お前か。オレか。そういうことを突き詰めてゆくと,その「無理」の理屈にひとりよがりの欺瞞があることがわかる。「顧客に満足できるもの」だとしても,しかしそれがどんなものであれ 3 時間後に「必要」なのである。そのタイミングをはずすと顧客にとって致命的な,取り返しのつかない事態になるかも知れないのだ(社長報告に間に合わず顧客担当者がクビになる,地位が落ちる等々)。この理屈は医者のようなシビアな仕事をしている人ならよくわかるはずである。どんなに「いい治療」を思案していても,その間に患者が死んでしまったら何の意味もない。

だから,あと半年で「まともな」論文なんてできない,と思う学生は研究職にも就けないし,企業にも採用されない。半年でできる範囲で審査基準に合致するレベルの論文を設計し形にできるか,が大事なのである。時間は決められた制約であるという意味で,ボリューム制約と密接に関わる。原稿用紙 100 枚以内,とあればその範囲で論文を書かなければ「失格」である。「101 枚なら,だいたい 100 枚じゃないか」— こういうのをモラルハザードというのである。999 円しかないとき 1000 円のものは買えない。もちろん「割引してもらえる」かも知れないが,それは「まったく別の論理」から来る事情に依存するものである。「課題」をはき違えてはならない。

神は存在するか,15 字以内で考えを述べよ。そんなこと 15 字では無理だよ,という人は他人を幸せにはできない。「課題」というものが何かを知らない。「存在する。目に見えないから」,「存在しない。目に見えないから」— そうやって「課題」・「要請」に応える結果を導くことが大事。「国語の問題で何々を 50 字以内でしるせ,とか形式的に過ぎるようなのがあるだろ? それは,そういうシビアな対課題姿勢を植え付けようとする教育的配慮なんだ」— とまあ,仕事で痛い思いをしてやっとわかった私は,したり顔でわが子供たちに説教しているんである。