ミッシャ・マイスキイの演奏によるバッハの無伴奏チェロ組曲を本当に久しぶりに聴いた。私は第二番と第五番が好きである。この曲の演奏はいくつも名演がある。私はムスチスラフ・ロストロポーヴィチ,ピエール・フルニエ,ミッシャ・マイスキイの盤がお気に入りである。なかでもマイスキイ盤には,ある特別な思い出がまつわりついている。
B. Tomaševskij - O stiche,
Slavische Propyläen
1985 年の春先,ソ連の最高権力者・共産党書記長コンスタンチン・チェルネンコが亡くなった。テレビを持たず新聞も購読できない貧乏学生であった私は,そのニュースを知らずにいた(おまけにネットニュースなどなかった時代だ。いま当たり前のインターネット利用は当時まだ大学研究者だけの特権であった)。札幌のまだまだ凍てつく寒い下宿で,ロシアの文藝学者・文学史家 Борис Томашевский ボリス・トマシェフスキイの詩論集 «О стихе»(『詩について』)を読んでいた。コーヒーをドリップする間に,NHK-FM を点けた。
バッハの無伴奏チェロ組曲が流れていた。私は直感でこれはミッシャ・マイスキイの出たばかりの盤だとわかった。正確にいえば,そう直感しただけで,いまからすればただの思い込みだったかも知れない。
一曲が終わったら,別の組曲が開始された。なにかおかしい。DJ なりアナウンサーなりの語りがなく,曲の演奏だけが延々と続く。なんの説明もない。すぐに,私は誰か要人が亡くなったのだと悟った。ソ連では権力者が亡くなるとクラシック音楽をひたすらラジオで流すという話を思い出したのだ。
そうか,書記長が死んだのだ。え,なんで? 就任してまだ間もないじゃないか,本当か? でも,果たしてそれは正しい判断だった。しばらくしてニュースがはじまり,チェルネンコ死去が報じられたのである。
異常な気分になり,トマシェフスキイどころではなくなったのを鮮明に覚えている。いま思うと,NHK はそういう放送局だったのだとへんな感銘を覚える。国際的最重要人物が亡くなろうと,このような放送は現在ではしないのではないだろうか。NHK にロシアの伝統を知る者がいたのだろう。それに合わせて哀悼の意を表したのだろう。「不可解」が国際情勢の緊張感を異様に高めるということが身に沁みた。「臨時ニュースを申し上げます」なんかより,観念させるようななにかがあった。
ソ連共産党書記長の死を告げるマイスキイのバッハ。もうひとつ強烈なのは,ミッシャ・マイスキイがソ連官憲によって投獄された経験を持つ,ユダヤ系亡命ロシア人であったこと。そんなマイスキイの演奏でソ連の権力者の死を哀悼するなんて,NHK は端倪すべからざる意図を秘めた放送局だと感心したものである。そして,こういう歴史的カイロス,新時代の黎明の伴奏にはやはりバッハが相応しいと。チェルネンコを襲ったゴルバチョフはやがてソ連を解体させてしまい,冷戦は終局を迎えることになったのである。
Johann Sebastian Bach - 6 Cello-Suiten, BWV 1007-1012. Mischa Maisky, Violoncello. Deutsche Grammophon, 415 416-2, (P) 1985. 西独輸入盤。