北園克衛詩のロシア語訳について先日メールのやりとりをしたニューヨーク在住のロシア詩人から,今日,連絡があった。掲載される予定の文芸雑誌 «Новая Кожа, 2009 No. 2»(日本語にすれば『新たなる皮膚』というのか。ニューヨークで発行されている independent なロシア語系雑誌のようである。米国に移住しても母国言語で創作活動の場を興そうというロシア人たちがいるのだと感心してしまった)の,彼の北園翻訳頁を PDF 版で送ってくれたのである。
冒頭に北園克衛のごくごく簡単な紹介文があった。伊勢で生まれたこと,エズラ・パウンドと文通をしていたこと,アヴァンギャルド雑誌 VOU 編集に携わったことが触れられていた。「モダニズムの古典的詩人」と評されていた。
訳は私がはじめに読んだものから少し変更が加えられていた。うれしいことに,頁の最後に私への謝辞が述べられていた。私の名が "литератураведа Исао Ясуду" と対格形でしるされ,しかも「文学研究者」なる肩書きが付されているのに,照れてしまった。Web サイトを公開していると時おりこういう貴重な経験ができる。
«Новая Кожа» の Web サイトはこちら。そのうち,Игорь Сатановский さんの北園詩翻訳がここにも掲載されるのではないかと思う。
今週会社の夏期休暇を取った。それで昨日,妻と川崎駅周辺に買い物・食事に出た。Tower Records を何気なくぶらついていたら,前から欲しかった CD を 2 セット見つけ購入した。
ひとつはセルジウ・チェリビダッケがミュンヘン・フィルを指揮したブルックナー交響曲第 8 番ハ短調 1890 年ノヴァク版のライブ録音。私は彼の指揮によるブルックナーの CD を何枚も所有し愛聴している。EMI から 1998 年に出たシリーズが特に好みである。7 番と 9 番を発売当時すぐ手に入れたのだが,この 8 番は買いそびれてその後なかなか入手する機会がなかったのである。
ブルックナーのシンフォニーは一時期,ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルによるドイツ・グラモフォン盤をよく聴いていた。ところが学生時代 NHK-FM でチェリビダッケ,ミュンヘン・フィルのライブを聴きその集中力の高さと深い音場に心底感激して以来,チェリビダッケ録音ディスクを待望するようになった。彼は音楽の演奏を「一期一会」と見なしていたようである。録音を毛嫌いした。でも愛好家がそんな演奏を偲ぶ記録を手元に置きたい,というのも人情である。彼の死後,発売されたブルックナーの盤はその感動をもう一度再現してくれた。そのためか,私はもうカラヤン盤をまったく聴かないようになってしまった。
(カラヤンは 20 世紀の大指揮者である。けれども,私にとっては彼の録音は「どれもこれも」優れていて好みの演奏であるにせよ,そのうち個別曲の演奏において彼を圧倒的に凌駕する指揮者の盤が登場し,私にとって最高の盤といえるものがほとんどなくなってしまう,そういうタイプの名演奏家である。モーツァルト,ベートーヴェン,ブラームス,チャイコフスキイ,マーラー,ブルックナー,等々どれも一流であるが「私にとって最高」と言えるのものが残念ながらほとんどない。リヒテルと組んだチャイコフスキイのピアノ協奏曲くらいか。)
(Live recording: 12 & 13 Sept. 1993)
EMI Classics (1998-09-30)
もう一枚は巌本真理弦楽四重奏団による待望のシェーンベルク室内楽 CD 化である。私はこれまでずっとこの録音をアナログ LP で聴いて来た。Tower Records が企画し,復活させてくれたらしいのだ。1972 年の録音。
この盤ほど気合いの入ったシェーンベルクを私は聴いたことがない。少し解釈の重く生真面目すぎるきらいがあるが,長野羊奈子のソプラノの迫力は凄い。ジュリアード,ラサール,アルディッティよりも私はこの盤を上に置いているのである。このカルテットがシェーンベルクの全集を録音していてくれたらと残念である。
江戸純子(Vla),藤田隆雄(Vlc),長野羊奈子(S)
TOWER RECORDS EMI CLASSIC (2009-03-04)