私は麻雀をしない。点数計算などの細則について不案内である。けれども,上がり役の序列と難易度については,阿佐田哲也の麻雀小説の傑作『麻雀放浪記』を読んでよく知っている。このようなギャンブル青春小説が一大ジャンルとして成立しているのは現代日本大衆文学の特徴なのではないだろうか。競技のルールを熟知せずとも,寝食を忘れてのめり込んでしまう面白さがある。
ふとしたことでツタヤ・レンタル DVD で麻雀映画『むこうぶち』を観た。これは,天獅子悦也作画によるマンガ(雑誌『近代麻雀』連載中)に基づく DVD 作品(封切りはされていないはずである)。Vol.1 は 2007 年発売で現在もシリーズが続いている。主人公・傀を袴田吉彦が演じている。その他出演者に高田延彦,ガダルカナル・タカ,及川奈央。1980 年代のバブル時代が舞台になっており,一晩で数千万が動く高レート麻雀を巡る悲喜劇である。
博打麻雀は,企業経営者もサラリーマンもヤクザもホステスも皆,ルールに則って勝負を行い,狡智と運を競う。優勢だった者が一瞬にして奈落に突き落とされる。まあ,フィクション,作られたスジとして,当然のごとく主人公・傀(人に鬼と書いてカイ)がひとり勝ちする。彼は,四暗刻を聴牌した敵の安全牌を切って逃げる振りをしながら(三暗刻ないし四暗刻のシャボ待ちはどう考えても当り牌を読めないと思うんだけど),九連宝燈をツモってしまう神のような存在である。「御無礼。ツモりました」。いくら低姿勢とはいえ,全能の神を観ていても面白くない。よってもって,作品の関心事は周辺の人々の業(ゴウ)にある。
風間トオル扮する大学の統計学教員がその確率センスを恃んで傀に勝負を挑む。果たして積み込みのごとき神の筋書きでもって,アタッシュケース一杯の万札をすべて傀に負け取られてしまう。紙袋に無造作に金を放り込んで去って行く傀のひと言:あなたは 99 パーセントまで勝ちを収めたが,残りの 1 パーセントのために敗れた。その 1 パーセントとはあなたの「過信」です — ちょっと笑ってしまうけれども,読みと同時に流れ・運に支配される麻雀という博打,ひいては不確実な世の中の一真理には違いない。かくして,横暴なヤクザや狡賢い成り上がり,自信過剰の大学教授から全財産を巻き上げ,観客の鬱憤を晴らすわけである。
主演の袴田吉彦はそのニヒリスティックな風貌でどんな役回りにも嵌る俳優だと思う。この作品は彼の謎めいたイメージによく合っていた。いつまでたっても二番手のプロ麻雀士・高田延彦とナンバーワン・ホステス役の及川奈央との対比・麻雀を通しての交感,雀荘のオヤジ・ガダルカナル・タカの下町風人情味など,脇役のキャラクターもなかなかよかった。粗末なストーリー性ゆえに C 級にも達しない通俗娯楽映画といえるけれども,麻雀映画として楽しめました。これを観て思い出した。大学時代,友人がひとり雀荘に打ちに行き,ヤクザ風情に大負けして帰って来たのだった。彼は私などの与り知らぬ人生の勉強をしたわけか。
※ 付記
『むこうぶち』のなかで出て来たレートは,「東風戦,2 の 2・6 の 10 万ビンタ」,つまり,ウマ 2 万—6 万,デカリャンピン(千点 2000 円),ビンタ 10 万(順位で下位のものが配給原点超の上位者に 20 万,配給原点割れの上位者に 10 万支払う差しウマ)というものであった。25000 点の 30000 点返しの場合,仮に,東場終了時における順位順の点数が 42000, 24000, 20000, 14000 だとすると,それぞれ +78.4 万円,+2.8 万円,-26.0 万円,-55.2 万円となる。たった一回の勝負でトップは 78.4 万円の儲け。これなら一晩で 1000 万勝つ者,負ける者が出るわけである。バブル時代は狂っていたんですね。