受験参考書・国語の本

息子も娘も受験生である。「いいなあお前等,受験生なんて青春そのものじゃ」みたいな他人事をいう私。でも,若い人がいちばん美しく見えるのは勉強している姿である。茶髪でピアスをした,それだけだと軽んじてしまうかも知れないような「とっぽ」い男が,真剣な眼差しで『経営学概論』なんて本に取り組んでいるのをスターバックスなどで時おり目にすると,人は服装や外見では判断できないという思いを新たにする。こっそり応援したくなってくる。

本屋に行くと,受験生向けの学習参考書コーナーなぞも覗くようになった。原仙作先生の『英文長文問題精講』(旺文社刊)など,私の受験生時代にお世話になった本がまだ並んでいるのをみるのは懐かしい。科学新興社の数学本『解法のテクニック』は,私が読んでいたのは矢野健太郎先生の著書だったのに,いま並んでいるのは別の先生による改訂になっていて,ちょっと残念だったりする。ふーん,いまの高校生は微分方程式を教わらないんだ。私は旺文社ラジオ講座というもので大学受験勉強をしたラジオ世代だが,いまや DVD 動画付きの英語学習書などもあり,さすがーと感心する。数学,国語,英語,社会,理科のそれらの学習書を眺め歩くと,3年あればこんなに知識が広がるのだったと,いまさらながらびっくりしてしまう。日本史 B・世界史 B の現代史記述が簡潔かつ「まとも」なのに本当に驚く(丸善で手に取って読んだのは山川出版社のものである。「新しい歴史教科書をつくる会」主導のものではないので誤解なきよう)。ああ,もっと勉強しときゃあよかった。

子供たちにも私が読んで面白かった学参ものを与えている。今日はそのなかから牧野剛『河合塾マキノ流!国語トレーニング』(講談社現代新書)について少し。著者は長年,河合塾で受験生を指導して来た名物講師である。我流かも知れないが率直なポリシー・方法論が面白い。建前ばかりの公務員的学校教員にはないものだ。

本書によれば,受験国語というものはパロディー的批評性と醒めた類型学だと知らされる。著者は文章を読み解くためのとっておきの方法として「コード読み」を説いている。「コード」には「流行の論理コード」と「作家コード」の二つある。それぞれを「反科学論」・「文化の否定性」・「言語論」等,「中村雄二郎 — 多義性」・「山崎正和 — 逆説」等,いくつかのコード・パターンに分類する。要するに,そのパターンに照らせば,眼の前の現代文を読むにあたって,視点の論理的一貫性をもつことができ,論を噛み砕くことができるとする(pp. 78-81)。こうしたパターンとの差異を読み分けることが理解だというのである。醒めてます。試験問題で採用される現代文はワンパターンだというのだから。このナメた観点は,長年の蘊蓄に支えられたパロディ的発想以外ではありえない。そもそも試験問題なんて「解けるようにできている」んだから,当然か。

本書の面白いところは巻末のささやかな読書論である。受験国語指南の書にそぐわず,ちょっととってつけた感が否めない。けれども,やはり本を読むことを愛する者でないと他人に「書かれたもの」の面白さを教えられないということがひしひしとわかる。竹国康友著『ある日韓歴史の旅』など,取上げられている本が個性的である。そのなかで,私が衝撃を受けたのはヘーゲル著『精神現象学』のくだりである。牧野はあまり言葉を費やさず,長谷川宏と金子武蔵の二つの訳を並べてみせる。それをここにも引用させていただく。

《まっさきにわたしたちの目に飛びこんでくる知は,直接の知,直接目の前にあるものを知ること以外にはありえない。この知を前にして,わたしたちは,目の前の事態をそのまま受けとる以外にはなく,示された対象になんの変更も加えず,そこに概念をもちこんだりしてはならない。》
長谷川宏訳。牧野剛『河合塾マキノ流!国語トレーニング』講談社現代新書,2002 年,p. 222。
《最初に或は直接的に「我々」の問題であるところの「知」とは,それ自身直接的な知であるところの知,即ち直接的なもの或は存在するもの以外のものではありえない。そこで「我々」のほうでもやはり同じように直接的な或は受け取る態度をとらなくてはならないから,現われてくるがままのこの知に少しも変更を加えてはならず,補足すること Auffassen から概念的理解 Begreifen を遠ざけなくてはならない。》
金子武蔵訳。下線部は傍点。同書,同ページ。

著者は金子訳を批判しているわけではない。でも,こう並べて見せつけられると同じヘーゲルでも,金子訳で読まさせられた人の不幸がありありとわかる。正真正銘の実在する翻訳なのに,強烈なパロディーをお見舞いされた気分になる。エラい大学教授による難しい訳本を前にして,私はいつも牧野のこの二つの引用を思い出す。そして次のチャーチルの言を。

次のような言い方はやめよう:「次の諸点を心に留めておくことも重要である」,「...... を実行する可能性も考慮すべきである」。この種のもってまわった言い廻しは埋草にすぎない。省くか,一語で言い切れ。[...] 思い切って,短い,パッと意味の通じる言い方を使え。くだけすぎた言い方でもかまわない。
木下是雄『理科系の作文技術』中央公論社。p. 2--3 からの孫引き。