T. R. スミス『チャイルド44』

『このミス』2009 年度海外編第 1 位!ということと,ソ連の猟奇殺人を扱ったミステリーということで,読んだ。作者は弱冠 29 歳の新生という。読み応えのある作品だった。

密告と粛正に明け暮れた,スターリンの恐怖政治時代の,誰も信用できないソ連社会が舞台である。政府への批判めいた発言や権力者の気まぐれでいとも簡単に逮捕され,銃殺されてしまう一方で,残虐な殺人事件が「このよき社会に起こるはずがない」としてなおざりに扱われる皮肉。権力側・特権階級にいた主人公レオは,些細なミスと私怨により地方警察の巡査に左遷され,秘密警察に追いつめられながら,少年・少女の連続惨殺事件の真実を追う。

読みどころは秘密警察からのスリリングな逃避行,子供の胃を持ち去るという連続猟奇殺人の謎解き,ロシアの凍てつく雪原の寓話的恐怖といったエンターテーメントだけではない。この作品の感動は,ソ連の風俗に忠実に則りながら,個人と国家,個人と社会,社会と国家という問題論をミステリーに組込んだところにあると思う。主人公は,脱獄囚と知りつつその目的を理解した村人たちに匿われ助けられたり,仲間をレオに殺されながらも官憲に対して口を割ることを潔しとしない囚人ヤクザに救われたりする。この筋書きには,ロシア独特の仁義のリアリティがある。個人が国家に押しつぶされ個の人間的感情を喪失しそうになりながらも,もう一方で,国家とは一線を画す社会・共同体によって人間が生かされている,そういう姿をうまく描いている。

なぜ,そこまでして真犯人を探すのか? それを駆り立てるものこそが作品のテーマであり,その了解こそが大団円のカタルシスである。上・下2冊,一気に読ませるんである。

大事なことをもうひとつ。本書はロシアで発禁となったそうである。このことこそが,ここで描かれた世界のリアリティ,ロシア人にしか想像できない,記憶に生々しく残る悪夢の真実らしさを物語っている。勲章ものである。

チャイルド44 上巻 (新潮文庫)チャイルド44 下巻 (新潮文庫)
 
トム・ロブ・スミス著,田口俊樹訳
新潮社
トム・ロブ・スミス著,田口俊樹訳
新潮社