平山夢明『独白するユニバーサル横メルカトル』

過度の凄惨,不潔,醜怪の果てに現われる諧謔というのか。面白い短編集である。全八編からなる。表題作は道路地図帖の独白という形で父子二代の犯罪を語る。地図帖を「ユニバーサル横メルカトル」という名前にする珍奇な発想。

私は『Ωの聖餐』がとくに面白かった。ひとの脳髄を食うことにより知識を蓄えるオメガ。身動きできないほど肥大化したため糞尿を垂れ流し,不潔な環境のために湧いた細菌により手足が腐り,チェーンソーで足を切り落とされるオメガ。彼の世話役で数学者の「俺」は,数学の難問「リーマン予想」を解いたという友人をオメガに食わせて,その証明を語らせ,フィールズ賞を手にしようとする。ところが,それは「リーマン予想」を前提とした「ゴールドバッハの予想」でしかなかった。死ぬ直前のオメガの独白は抒情的である。

今,私の前には眩しいばかりの陽光と幼い頃食べた母のマドレーヌの感触がある。いや,それは感触というようなおぼろげなものではない。皮膚が,脳裏が確信をもって私にそれを与えてくれている。不思議だ。養蜂家の記憶と必ずしもリンクするものではないはずなのに ...... 彼の記憶が触媒となって,私は幼い頃の家にいる。母と父の蜂蜜に汚れた衣服の香り,黄金に輝くサフランの畑が見える。
平山夢明『Ωの聖餐』—『独白するユニバーサル横メルカトル』所収 光文社文庫,2009年,81頁。

ここでは,カニバリズムも,糞尿も,壊死した右下腿も,チェーンソーによるぶった斬りも,プルーストも,『エウロペオ・アメリカーナ』も,ベートーヴェンも,グレゴリオ聖歌も,フェルマーの最終定理も,チンピラも,養蜂家も,皆,フラットな配置をされている。机上の知的営為というものの強烈な寓話である。