なにかが秒読みに

核実験に対する国連安保理の対応,大量破壊兵器拡散防止構想(PSI)への韓国の全面参加をめぐって,北朝鮮が立て続けに瀬戸際外交を繰り広げている。先日,一発のミサイル発射で大騒ぎだったのに,ここ数日の複数発の短距離ミサイルについてはそれほど大きな取上げ方はされていない。それよりも,朝鮮半島の北と南との間で一触即発の危機が訪れていることが最大の関心事になりつつある。なにかが秒読みに入ったきなくささがある。なにはともあれ,韓国が冷静に対処することを望むばかりである(国内の諸問題のはけ口に北朝鮮問題が使われる可能性があるから)。

不況においてもっとも経済効果を齎す契機となるのは,戦争である。日本は,朝鮮戦争でいちばんおいしい思いをし,おかげでその後の経済復興を成し遂げることができたではないか。北と南で限定的な戦争が起きると,日本はじつはラッキーとほくそ笑むはずである。この世界不況にあって,ハイエナのような嗅覚をヒクヒクさせている奴らがいるはずである。不況の所為で職も金も恋人もなく,フラストレーションの溜った若者たちは,せめて隣国の上空に打ち上げ花火を観て,他人の不幸を満喫したい ... かも?

でも,それは起こらないだろう。北朝鮮はこれまでの手法を少し先鋭化させているだけで,戦争が起こると自滅すると自分でよくわかっているので,自滅的行動を自らしかけたりしない。韓国ないし日本が軽率な行動を起こすのを待っているのである。ところが,韓国は,盧武鉉前大統領の死のほうがよっぽど関心が高く(韓国歴代の大統領は先代を死刑台に送るのを権力誇示の常套手段にしてきた。盧武鉉前大統領への国民の哀悼は,裏を返せば,李明博政権への信頼がいかに薄いかの現われである),対北朝鮮関係がなあなあで静まることをより歓迎するのではないだろうか。韓国が戦争状態になったら同盟関係にある米国が介入する。同様に日本も米国によって戦争に引き込まれて行く。「限定的な戦争」なんていまやありえない。日米同盟がなかった朝鮮戦争のころとは事情が違うのである。またもや米英の軍産投資家たちだけが丸儲けするような気がする。

貧乏人の息子がいる。彼は敵意をむき出しにしている。友人,隣人たちは困り果てている。でも口先だけの彼に,お灸をすえるわけにもいかない。どうも彼は食べるのにも困る生活なのに,なぜ周りにツンツンするのか。日常生活でこのような状況にあるとすれば,どのように行動すべきだろうか。誰かにボコされればよいと独り言を言っていればよいのだろうか。皆でもっと仲良くやろうじゃないかと手を差し伸べるのがよいのか。私なら,親身になることのできる彼の親・兄弟に任せて,口を閉ざしてそっとしておく。彼の考えが変わるのを待つのも,付き合い方のひとつである。彼の危険な行動への準備だけはしつつ。