北園克衛全詩集

敬愛する北園克衛詩の集成本『北園克衛全詩集』をやっと手に入れた。沖積舎から平成四年に刊行された一巻本。就職して東京に出て来てしばらくしたある日,神保町の古書店で見つけ,18,000 円の価格に溜息が出た。その後探していたものの,なかなか見つけられなかった詩集である。

20090119-kitasono-zenshu.png
『北園克衛全集』沖積舎刊

北園克衛(1902-1978)は 1920-1930 年代に活躍した詩人である。そのころの日本は,治安維持法が施行され,世界恐慌(1929),満州事変(1931),五・一五事件(1932),二・二六事件(1936),盧溝橋事件(1937)などを経て軍国的全体主義国家の道をひた走る暗い時代だったといえる。芥川龍之介が自殺し(1927),いまちょっとしたブームになっている『蟹工船』を書いた小林多喜二が官憲に惨殺され(1933),文学作品も暗いテーマが多かった時代ではないだろうか。

しかし,北園の詩を読んでいると,そんな暗雲の垂れ込めた時代にもこんな明るい軽やかさ,若々しさがあったのだと本当に安心するのだ。その颯爽感は,不況風がびゅーびゅー吹きまくる世知辛いこの現代においても同じ。その詩は — 新し物好きで,フランス詩を口ずさみ,気取っていて,ちょっと軽薄で,甘ちゃんで,だけど気前よく,サービス精神旺盛で,冗談が好きで,そしてなんとも楽しいお兄さんの,へんにお洒落なひとりごとのようである。

詩よ! 私は呼びかけるのです
飾窓の硝子には彼女たちのイニシアルを書いたものもあるので
僕は晴れた夜が懐かしいのです
しかし街ではすべての硝子がダイヤのクヰンではない
プラタナスの葉が初夏を噴きあげてゐる
青いろの麦酒のやうに そして彼女の帽子を染めるほど
あ?
トラムプは切れました
夏の一夜 (『若いコロニイ』1932 年刊より,『北園克衛全詩集』p. 108)
夏には気儘な僕たち
貝殻で賭ける優しい言葉も
彼女たちの未練なカンニングのために
みんな壊れてしまひます
海のスキャンダル (『若いコロニイ』1932 年刊より,『北園克衛全詩集』p. 121)

前衛的と評された北園の詩は,日本もヨーロッパ文学の吸収においてある段階を迎えたかのような,溌剌とした気風に充ちている。北園克衛以外にも,私はこのころのモダニスト詩人のウィットに富んだ軽口が大好きである。例えば,竹中郁。次の詩なんか,楽しくてどこか哀しい。

見知らぬ人の
会釈をうけて
こちらも丁重に会釈をかえした
 
二人のあいだを
ここちよい風がふいた
 
二人は正反対の方向へあるいていった
地球を一廻りして
また出会うつもりの足どりだった
『日本の詩歌 25』(中央公論社,1979 年,p. 403)

こんな自由な気分になれたらなあ。「お! ボンジユウルも言はずに雨が降る」(『北園克衛全詩集』『朝の手紙』より,p. 153)。できることなら,また学生時代のように,昭和初期のモダニストたちの戯言に我を忘れて浸りたい。

 
日本の詩歌 25 (中公文庫 H 2-25)

北川冬彦,安西冬衛,北園克衛,春山行夫,竹中郁
中央公論新社