「二審も『軍の深い関与』認める=大江さん著書の名誉棄損否定−沖縄戦集団自決訴訟」というニュースを読んだ。作家・大江健三郎氏と岩波書店が『沖縄ノート』の記述をめぐって名誉毀損で訴えられていた裁判で,原告側の控訴が棄却されたそうである。日本軍が沖縄の住民に集団自決を命じたとする『沖縄ノート』の記述は虚偽であるとして,元日本軍将校らが訴えていたものである。
私が不審に思うのは,1970 年に出版された書物についてなぜいまになって「この本は虚偽」だと主張しはじめたのか,ということ。もちろんその背景には『沖縄ノート』で非人間的に描かれた者たちとそのご遺族の意向があるだろう。しかしこの裁判に私は,「美しい日本」を標榜した宰相に見たのと同様の欺瞞を嗅ぎ取ってしまう。あの戦争の否定的側面を戦後 60 年の時間のなかに雲散霧消させてしまおうとする,ご遺族の雪辱などよりもっと大きな政治的意図を認めるのである。
いまや太平洋戦争の記憶も風化しつつあり,当時を知る者が亡くなりつつある。争点となる事実も証明されえない状況下での「あれは虚偽である」との主張。もし出版された 1970 年当時なら戦後 25 年しか経過しておらず,沖縄戦の記憶も生々しく,複数人の証言によるクロス検証ができる可能性も高かったはずである。都合の悪いことは時が解決してくれるということか。巧妙としか言いようがない。原告が負けたのは「虚偽」がもはや証明されえないからであって,非常に後味が悪い。もはや「虚偽」かどうかは証明できないが,それゆえにこそ逆に「真実」だったという主張をも貶めることができるのである。ニュースも「直接の自決命令の有無は『証拠上断定できない』とした」と報じている。軍は民間人に対し「直接命令」する権限などなかったのだから「自決命令」なんて断定できるほうがおかしいし,命令でない「強制」の有無となると文書が残っているはずもない。記憶こそがよりどころなのだ。死人に口なし。何者かが原告の元日本軍将校に入れ知恵したのではないかとの疑いを私は禁じ得ない。
こうして過去の残虐行為 (軍人が敵兵ではなく民間人に対して振るう暴力のことを私は言っているのだが) はうやむやになってゆくのか。「集団自決は軍による強制」との記述が教科書検定で削除されたのに対し,沖縄県民が抗議の怒りにうち震えたのも肯ける。沖縄県民にとってはまさに「ふざけんじゃねえ!」である。