トマス・ハリス『羊たちの沈黙』

最近やたらと忙しい。週の堆積した疲れのため今日は昼過ぎまで寝ていた。トーストとコーヒーで食事を済ませ,屋根裏部屋で煙草を吸った。ジェット機,横須賀線列車の通過する遥かな低い唸り声,近所のひとの自転車のブレーキの軋みに混じって,どこからかクラリネットの音階練習が聞こえる。トマス・ハリスの『羊たちの沈黙』を読む。

この作品はジョディ・フォスター,アンソニー・ホプキンス主演の映画で知るひとのほうが多いと思う。私もまず映画から入った。「それできみのなかで羊たちの声は鳴きやんだのかね」と皮肉に,しかし真摯に問うレクター博士と,FBI 訓練生クラリス・スターリングとの対話にこそ見所のある,素晴らしい映画だった。『シックスセンス』とならんでここ十数年間の私の選ぶベスト映画のひとつである。

小説は,映画では省かれている登場人物のエピソードを描いている。植物人間となってしまった妻の横たわるベッドのそばで,クローフォドは本を読んでいる。いったいどんな本を読んでいるのか。私もなにかを分ち合いたいと,それがなにか興味を覚える。しかし,人知れぬ彼の苦しみと同様,それはわからない。小説のあとの記述から察するに,シェークスピアと同時代の英国詩人ジョン・ダンかも知れない。レクター博士はクローフォドへの手紙のなかでジョン・ダンの詩『熱病』の一節を引用している。

どんな火がこの世界を焼き払うか
論争を続ける諸学派は
次の事について考えるだけの知恵がない
彼女のこの熱がその火ではあるまいか,と
ジョン・ダン『熱病』〜トマス・ハリス『羊たちの沈黙』新潮文庫版 p.67

このように,ひとにはそれぞれ密かな終末論がある。そのもとになる苦悩がある。それは誰にも理解されない。「論争を続ける諸学派」にもそれを慮る知恵はない。しかし詩人が小さな現実を手に取って代弁してくれることがある。レクター博士の風格とは,思うに,そういう人生の認識に支えられているのである。

主人公クラリスは己の不幸な育ち・田舎風情,周囲の男たちから受ける淫靡な視線・抑圧を克服したいと考えている。幼少期のトラウマを背負っているようにも思われる。そのような女性像は珍しくない。「羊たちの声」とは,そういう誰にも語れない生の密かな苦しみ,言葉に表せない社会的・ジェンダー的苦悩のことだろう。この作品はある意味で女性の受けるセクハラ視線からの解放の物語だと思う。「それできみのなかで羊たちの声は鳴きやんだのかね」— しかしおそらくそれは消えることはないのだろう。

映画『羊たちの沈黙』は大ヒットした。日本にも犯罪プロファイリングをモチーフとする亜流がいくつも現われた。米倉涼子主演『交渉人』(テレビ朝日, 2008 年),浅野温子主演『沙粧妙子 — 最後の事件』(フジテレビ, 1995 年),「キターっ」・小泉今日子主演『踊る大捜査線 THE MOVIE』(フジテレビ, 1998 年) などはそのようなものである。これらのドラマは,豪華キャストでもありなかなか面白かったけれども,知的殺人者の性格においてその嗜好の異常性・猟奇性と知的エリート性ばかりが強調され,レクター博士の紳士としての彫の深さ,クラリスの女性性の業への真摯さがまったく,まるで認められなかった。その点で『羊たちの沈黙』の浅はかな贋造品であることを露にしてしまっていた。

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トマス・ハリス
菊池光訳
新潮社
羊たちの沈黙
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン (2008-09-26)

ジョン・ダンの詩集もあげておきたい。以下は私の愛読する版であり,『羊たちの沈黙』のなかで引用されている詩『熱病』を収録している。この英国のバロック風詩人は私にとって最高の詩人のひとりなんである。英国人がジェントルマンの老獪な気取りを身につける前の,血腥い人間味を横溢させた詩人である。シェークスピアも孤立した天才ではなかったのである。
 

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ジョン・ダン
川村錠一郎訳
現代思潮新社