元東大生逮捕・溢れる大学院生

Yahoo! ニュースで『元東大生が文科省幹部の殺害予告「教科書と違う...だまされた」』なる記事を見た。「理想を持って勉強してきたが,教科書の内容と違う現実があることを知り,文科省にだまされたと感じた」などと供述しているという。人生をなにかしら思い通りにしてくれる教科書があるとでも思っていたのだろうか。どうも言いわけじみていて嘘くさい。曲がりなりにも東大を卒業した優秀な人材がこうした愚かな逆ギレじみた行為で牢屋送りになったという事件。本当につまらない。

この事件の背景には,東大を出れば将来が約束されるという学歴社会が崩れつつあるという時流があるのかも知れない。しばしば批判される過当な受験競争の弊害はあるにせよ,どこの馬の骨でも東大を卒業すればひとかどの人物として世に受入れられ,世のため人のために活躍できるという構造は悪いものではない。学歴社会には,西欧の階級社会にない開かれた長所があるのだ。かつての東大生は卒業すればエリート官僚・企業人となって日本を担うのだという気概に充ちていた。彼らは頭もよいし,他者のために身を粉にして仕事をしたはずである (ならば,ちょっとした鼻持ちならないエリート意識なんて大目に見てもよかろう)。どうも最近,新自由主義の実力社会という,聞こえはよいが実は金だけの世の中になってしまい,勝ち組・負け組などという分類が流行である。高学歴エリートの存在感が薄い時代になってしまった (そうするとそのうち,勉強しても世に認められない風潮がまかり通って,基礎学力の鍛錬すらしなくなってしまうのが世の趨勢となって来るのではないか?)。

日曜日の夜に放映されている NHK テレビ番組『カンゴロンゴ』で,つい先日,ワーキングプアがテーマに取上げられていて,興味深かった。大学博士課程を終えた秀才が正教員になれないうちに大学をリストラされ,学術的情熱を持ちつつ行先を失って,アルバイトで糊口を凌ぐだけの希望のない生活を余儀なくされている — そういう姿が,ワーキングプアの典型というものだった。20 年前には 5 万人程度だった大学院生がいまや 20 〜 30 万人もいるのだそうである。大学に長く居すぎた秀才は世の中に相手にされないということか? 確かに企業は 20 代前半の新卒就活生には門戸を開いているが,30 を越えた学者崩れを正規に雇用するというのはあまり聞かない。こういう話を聞くと,世の中には優秀なのにその力を発揮できず,一過性の一時凌ぎの労働でその才能を十分に活かせない人達がゴマンといると思わずにはおれない。

文科省は 10 数年前から知的国力を高める目的で,優秀な人材を大学院で鍛える大学院重点化政策を展開して来た。私の亡くなった恩師は「どうもこれからは学部生は相手にせず,大学院生だけをきちんとした指導の対象とすべきとでも言いたいらしい」というようなことを面白からず口にしていた。学生の質が低下し,大学が知の先端ではなくなり,企業も大学の研究成果をそれほど当てにしなくなっていて — ビジネス・ニーズに敏感な企業研究者のほうがシビアに成果を問われるだけ大学研究者よりよっぽど「実益にかなった」優秀な研究をしている以上 —,大学教育とはいったいなんなのかという文科省の危機感がここにはあったと思う。しかしその政策のため,大学院生が世に溢れ,企業はこれを採用せず,これゆえ才能ある若者たちがワーキングプアと化している。もったいないことである。逮捕された元東大生もそのあたりに不満があったのではないか。

安倍首相はこの問題に対し「再挑戦できる社会を」と叫んでいたけれども,「格差はどこにでもある」という別の発言からワーキングプアは畢竟「自己責任」との考え方もほの見えて,どうも他人ごとだったようである。高等教育を受けた者の人的流通を活性化させる政策がなにか具体的な形で打ち出されただろうか。若い人達が才能を持て余して社会に貢献できない,というのは犯罪者が刑期を終えて出所したあとの就労が難しいというのとは大違いなのである。「再挑戦」どころかはじめから世の中に受入れる枠組みがないのではないか。政府自民党の皆さん,頭のいいヤツがぐれるとコワイぞ。

私は優秀な若者があたら才能を眠らせつつ巷を浮遊している状況は,当人にとってだけでなく国の将来にとっても,極めて憂うべきことだと思う。私は大学院修士課程を修了した段階で,さっさと自分の学問に見切りを付け,食うために就職した。20 年前でもすでに — というか伝統的に — 文学修士という学歴は実益優先社会への入り口では障碍にしかならなかった。それでも物好きなメーカーが拾ってくれたわけである。私は運がよかった。研究者を諦めたことが禍根を残さないわけではないが,しがないコンピュータ屋になっていまではよかったと思っている。本当に学問がやりたければリタイアしてからでもよい。それが人生というものだろう。そういうこともあり,上記のような話を耳にするにつけ,我がことのように若者が不憫になる。

『カンゴロンゴ』でよいお言葉があった。曰く,人間至る所青山あり。曰く,君子は豹変す。