つまらない人生だった...

今夜,九時ごろに帰宅したら,我が家はまだ食事中だった。「お父さん,誕生日おめでとう!」— そう,今日は私がまた馬齢をひとつ加えた日なのであった。テレビであゆが歌っていた。

ご飯を食べていたら,妻がふとこんな話をした。義母の叔父は危篤の床にあって,家族たちの見守るなか「つまらない人生だったな」という言葉をぽつんと遺して臨終したという。「お爺ちゃんにそんな捨てゼリフをされたら,子供も孫も気が滅入ってしまうよね」というようなことを娘としゃべっている。

しかし,私はというと,この話に酷く感動してしまった。何十年も生きてきて,様々なことがあったはずであるが,それを振り返ってひとこと己の生を「つまらない人生」と総括した上で,子や孫の前で死んで見せることのできた老人。俺はこんなふうに自分の死ぬところを家族に見せつけて死ねるだろうかと思ったのである。

「そのお爺ちゃん,凄いね。ひとことで自分の生涯を要約して,家族を前につまらなさそうに死んで見せるなんて,そんな芸当は今の人には無理だね。少なくともお父さんなんか,死ぬとなると,あれもしておきゃよかった,これもなんでしなかったのか,何故だあ,って慌てふためいて死ぬどころじゃないかもね。このお爺ちゃん,知らず知らず,生きるというのはそういうことなんだときちんと子や孫に教えてるんだね。お父さんは感動した」。今の人は知らないうちに消えるように死ぬんだから。周りの人は「死んだらしいよ」なんて。

食後のデザートに妻の北上の実家から送られてきたチーズケーキをいただいた。これは近所のロシア料理店『トロイカ』の自慢の一品だそうである。極上のクリームチーズ。レストラン自ら経営する牧場の牛乳から作ったという。フクースナじゃった。

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秋らしい青い晴天の続くよい季節になった。いやなことがあっても,冷気のそよぐ天高い空を見ていると救われる気がする。天つつぬけに木犀と豚にほふ(飯田龍太)。豚にほふ — 人間界のことだろうが,その臭気はいじらしく憎めない。長閑である。

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洲崎川緑道公園

一昨日,午后一杯,目黒の顧客と長い — 腸の煮えくり返る — 打合せをして疲れ果て,早めに帰宅した。テーブルに着いてうたた寝していたら携帯電話が鳴る。会社の子分からで,今度は鎌倉の顧客システムがダウンしてお客がカンカンだという。前夜にシステムパラメータを変更したのが原因か。とにかくパラメータ設定を戻してサービスを復旧させろと指示して,また会社に舞い戻るハメに。そして昨日は,午前中その障害の原因追及でドタバタ,翌日の新規顧客の提案資料のレビューでバタバタ,これじゃ夕方に予定した東大での詩のワークショップなんかにゃとてもゆかれねえと諦め半分,トホホの状況であった。

しかし,午前中でなんとかできる範囲を一段落させ,東陽町本部から溜池事務所に移動しようとして社屋を出たら,この陽気。ふらふらと地下鉄東陽町駅と木場駅の間にある深川の遊歩道(洲崎川緑道公園)に足を踏み入れてしまった。十五分ほど散歩してカレーを喰い,さらにドトールでコーヒーを啜って,木場から地下鉄に乗った。開き直ってしまったのか,仕事を四時に切り上げて,あとよろしくねんとばかりにしゃあしゃあと本郷に出向いた。現代詩なぞのことで東大の文学研究室にゆくなんて子分にはさすがに言えなかったけど。溜池山王から東大前まで地下鉄南北線でたった十五分なのに驚いた。東京都内は広いのか狭いのか,ホント,わからない。