ブライアン・イーノ『Ambient 1: Music for Airports』

久しぶりに Brian Eno ブライアン・イーノのアンビエントを聴きたくなった。『Ambient 1: Music for Airports』。

私はイーノの名を,もう三十年近く前,大学時代の下宿の友人 M から知るところとなった。彼は理学部化学科所属のちょっと風変わりな学生であった。長い縮れ髪で,痩せて目を煌々とさせた,顔のバタ臭い,森鷗外と同じ津和野に出た秀才であった。私の下宿の向かい側の部屋で一日中,サイケなロックや,オルターナティブ,現代音楽っぽい環境音楽を聴いていた。訝しいラテン名のラベルを貼付けた薬品を何本も瓶に詰め,書棚に並べて楽しむ薬品オタクであった。ニトロなんとかなど — 本当かどうかはいまとなっては確かめようがない — あぶない液体もあったようである。私はいつ何時,爆発事故の巻き添えを喰うかも知れず,気が気ではなかった(というのも,同じく化学科の別の友人 H が研究室で実験中に爆発事件を起こしていたのだった。「オレ爆発させちまったー」という彼の言葉を,最初は「だらしない生活をして収拾のつかないまでに部屋を散らかし放題にした」くらいに私は受け取っていたが,本当に爆発させたのに呆れた)。M はそのエキセントリックな生活に似ず,島根石見訛の抜けない,衒いのないなかなかの好青年でもあり,私はたびたび彼の部屋を訪れて,珍しい洋楽を聴かせてもらったものである。私もウェーベルンやシェーンベルクの弦楽四重奏曲のレコードを彼に貸してあげたりした。

さて,ブライアン・イーノ『Ambient 1: Music for Airports』。この曲集は 1978 年に,その名のとおり,空港の BGM として作曲されたものである。いまでは環境音楽とジャンル付けされているが,これはかのエリック・サティの家具の音楽の伝統というか,聞くともなく音楽に身を浸している生活の主張というか,鳥の鳴き声,風のささやき,川のせせらぎとは趣きの異なる人工的音塊によって居住空間を演出する試みである。もちろん,音楽として聴き入っても,その幻想的・瞑想的催眠性とでもいうべき軽やかさにトリップしてしまおうかというほどである。私は昔,自分の結婚式の待ち合いのために,この曲のひとつを使わせてもらった思い出がある。ブライアン・イーノももう還暦を迎えるのかと思うと,我が身の徒なる歳の積もり具合に呆れてしまう。

Ambient を聴くと,瞑想的雰囲気に浸る一方で,M のことを思い出して,爆発のはらはらの記憶にも襲われるのは否み難い。Airport と爆発。いまならテロを連想してしまうわけだが。