今日,東京大学スラヴ語スラヴ文学研究室より年報 SLAVISTIKA XXIV 見本誌を拝受した。やっと出た。プーシキン論文最終稿を提出してから三カ月以上経ち,いったいいつになったら出るんだろう,もしかして来年度分と合併号になるのかな,などと私は思っていたのだった。研究室の担当者はわざわざ私の論文だけの抜刷まで準備してくれた。多謝。論文が公になり,専門のプーシキン研究者がどう見てくれるのかを想像すると,まことに心もとない。鷗外ではないが,「心あるひとはいかにか見けむ」である。
自著の論文が印刷された冊子体現品を見ると,さすがにうれしい。さっそく子供たちに自慢した。いまや立派な文筆家となった義父も論文執筆について折に触れ私を励ましてくれたので,私はお礼も兼ねて彼に抜刷を送付しようと思っている。今回の論文のネタを 2006 年正月に思いついて,もう二年半以上になる。文学研究論文への取り組みは,ただのコンピュータ・エンジニア・サラリーマンである私にとっていろいろと紆余曲折があったが,これで終わり。スミルノフさん,義父と大学時代の友人が褒めてくれ,なにより子供たちが「お父さんすごい」と言ってくれた。妻はスパークリング・ワインで祝ってくれた。サラリーマン・オヤジはそれで十分にご満悦なのである。論文を書くことを仕事にしている研究者を慮るにつけ,論文をたった一本掲載されて悦に入っているこんな私は実におめでたい限りなのだけど。
おもしろうてやがて悲しき鵜飼かな — 芭蕉。