9.11 の記憶

新規プロジェクトの旗揚げで,このところクソ忙しい。この連休も仕事である。暇よりは多忙なほうが精神衛生上よいのだが。

昨日 9 月 11 日はあの同時多発テロから 7 年目の日。グラウンド・ゼロでの追悼式典の様子を報じるニュースを見た。あの日,歴史的なテロ事件を知ったのは,やはり仕事が — ゲリラのように襲ってくるシステム障害対応にきりきり舞いしていたために — 深夜に及び,帰宅しようと拾ったタクシーのおやじからであった。「見ましたぁ,ジェット機がニューヨークの二本立てのでかいビルに突っ込んだの? 凄かったねえ。テロだってことですよ。ビルってあんなふうに崩れるんだねえ。中にいたひと,飛行機の客,気の毒だねえ。ひでえことするもんだねえ。毛唐はなに考えてんだかわかりゃしねえ」。私はなにがなんだかわからなかったが,夜中の三時くらいに家に着いてからテレビを点けると,米国繁栄の象徴のような世界貿易センタービルが崩壊する映像が繰り返し,繰り返し放映されていた。この事件で三千人以上のひとびとが亡くなったという。翌日から勤務地の溜池山王,虎ノ門のあたりは,外堀通りから米国大使館にかけて機動隊の大型車両がずらりと並び,警察官が二十四時間態勢で警戒にあたるものものしい事態になった。

このときから世界が一変したのだった。イラクとアフガニスタンは,この衝撃的な破壊活動のおかげで三千人の敵国市民の命と引き換えに,何十万人もの同胞の命を米軍に奪われることとなった。米国が中東で泥沼の報復戦争にまみれているその間に,中国とロシアがエネルギー大国・経済大国・軍事大国となって覇権を握りつつある。いまや再び世界は米国一人勝ちの時代から多極的なパワーバランスの時代になったようである。

イラク戦争のせいで投機の対象になった原油の価格が急激に高騰し,日本人もまた苦しい生活を強いられつつある。儲けているのは米国・英国式手法で資金を転がしている者だけで,一方モノを作り流通させている者は働けど働けど,いっこうに生活が充足しない。さらにその下で仕事を支える派遣・契約社員は正社員と差別され働く者のプライドすら自認できない有様である。かつて世の中のいじましさを知らないお坊ちゃん宰相は「格差社会というけど格差なんてどこにいっても必然的に起こることだ」と当たり前のことを述べてことの本質を突いた気になっていた。誰もが資金を転がして金持ちになるのがよい社会であって,それをやらない馬鹿のいるところでは格差に打ちひしがれる者がいても当然だとこのひとは言っているのである。若者が未来に希望を持てないのも宜なるかな。

首相は国政を放り出してしまうし,野党は選挙のことしか頭にないし,つまり日本はいまはまだ平和なのだということなのだろう。でも,ソ連がアフガニスタンに侵攻したころ,レーガン大統領がスターウォーズ計画を発表したころ,バブル景気から日本経済が転げ落ちたころ,米国がグローバリズムの要求で日本を虐めまくっていたころ,オウム真理教が松本と霞ヶ関でサリンを撒いたころに比べても,いまは私の記憶のなかでかつてないくらい不安な時代だと私は思う。『お笑いレッドカーペット』を観ながら大笑いしている子供たちが大人になる五年後が本当に心配である。