ジュリアン・グラックの死

12 月 22 日,フランスの作家ジュリアン・グラックが亡くなった。享年 97 歳。

大学時代,日影丈吉のエッセイのなかで彼の名を知った。その小説『アルゴールの城にて』を読んで,こんな魔法のような小説があるのだと驚愕した。日本語訳で読んでも,その煌めく想像力に圧倒されてしまった。爾来,目に留まったグラック作品を片っ端から手にいれて愛読してきた。少しでも原典の雰囲気を知りたいとの思いから,フランス語をろくに知らないのに,José Corti 社から出ていた Au château d'Argol の原著を丸善で取り寄せて,八頁折をペーパーナイフで切りながら(※),仏語辞書を片手に読んだものである。

(※)何を言っているのかわからない人がいるかも知れない。八頁折とは裏表で八頁分印刷した紙を二回折り畳んで綴じる本作りである。昔の本は,折り畳んで綴じただけで,カッティングしていないものが普通にあった。読者はナイフで頁を切りながら読み進めなければならない。頁の切っていない本を処女に喩えたりした人もいたとか。

白水社版『アルゴールの城にて』(安藤元雄訳,1985 年)の『水浴』の章から,私のなかんづく酷愛するくだりを,少し長大ではあるが,引用させていただく。果てしなく息の長い文に畆る,白昼夢のような想像力に,文章を読む快楽というものを知る。

三人は墓石の間で服を脱いだ。太陽が靄の中から湧き出してこの場面に照明の光を当てたのは,いままさにハイデが,その輝くばかりの裸体を見せて,海の方へと,沙漠の牝馬よりももっと力強い,もっと柔らかい足どりで歩き出したときだった。長大な濡れた反映によって形づくられたこのきらめく風景の中,たなびく靄,平になめらかな波,滑るような太陽の光線などがことごとく水平に走っている中で,彼女は突如としてその垂直線の奇蹟によって目を驚かせた。太陽に食いちぎられ,影という影が姿を消している砂浜の上に,彼女は無上の反映を走らせた。まるで水の上を歩いているように見えた。エルミニアンとアルベールが,力にあふれ,なめらかな暗い影をなしている彼女の背中や,重く垂れている彼女の髪にいつまでも目を走らせ,みごとなゆるやかさで動く彼女の両脚とともに胸を高鳴らせている前で,彼女は昇る太陽の円盤の上にくっきりと身を浮き出させ,太陽は彼女の足もとまで一面に液体の火の絨毯を流した。彼女は両腕を上げ,まるで生きた女人像柱(カリアテイード)のように,両手で苦もなく天を支えた。かつて見たこともない,心を奪うその優美さの満ち潮が,もうあと一瞬でも長く続いたら,その息づまるリズムに心臓の血管がことごとく破れるのではないかとさえ思われた。そのとき,彼女は首をのけぞらせ,肩が繊細な柔らかい動きで持ち上がって,彼女の胸と腹とに飛び散る飛沫の冷たさが身のうちにこらえ切れないほどの快感を走らせたので,彼女の唇が思わずめくれ上がって歯を見せる — そして,見ている二人の驚いたことには,その一瞬,この刺戟的なシルエットから,一人の女の,いまにもこわれそうな取り乱した動作がほとばしり出た。
ジュリアン・グラック『アルゴールの城』安藤元雄訳,白水社,1985 年,pp. 97-8,
下線部は白水社版では傍点。

物語構造の根幹をなしているのは,人物の性格やプロットの描き込みというよりもむしろ,描写のビジョンそのものである。水平な海浜で垂直に腕を擡げて「天を支える」女人,その描写の細部そのものが縦横上下前後に発散する,幾何学的,化学的,光学的,その他もろもろのイメージの意味深さ。

この作家は私にとって別格の存在。何度でも,何度でも,舐めるような再読に耐える彼の作品には,その他,『半島』,『森のバルコニー/狭い水路』,『シルトの岸辺』がある。グラック作品はいまや何故か書店ではなかなか手に入れることができなくなってしまった。プレミアの付きつつある古書を探すなり図書館で借りるなりして,ぜひとも読んでいただきたい。私の心から敬愛する作家(ホンモノの作家)は — グラックの存在を教えてくれた日影丈吉を含めて — 皆故人になってしまった。

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Julien Gracq - Au Château d'Argol. 12e tirage, Paris: José Corti, 1982.
 
アルゴールの城にて (白水Uブックス)
ジュリアン・グラック
安藤元雄 訳
白水社