なか卯とメンデルスゾーンと Java 本第4版

仕事でドタバタしてお午をとる暇もなかった。夕方に少し落ち着いて,移動の合間に,東京駅の高架下にある飯屋「なか卯」でカレーを食った。安くて旨いどんぶりものを食わせてくれる「なか卯」は,懐具合いの寂しい家族持ちサラリーマンの味方なんである。

東京駅のこの店舗は最近なぜかクラシック音楽を流していて,オヤジの多い客の風情にそぐわない。今日,カウンタ席について耳をそばだてると,メンデルスゾーンのあの有名なヴァイオリン協奏曲の第一楽章と知れた。この前はモーツァルトのニ短調弦楽四重奏のトリオ。なにか喜劇の一幕に身を置く気分になった。いま現在の仕事の乱調ぶりにつけても,これは狂奏曲か,幻楽四十奏曲かとひとり合点して苦笑してしまう。楽章が終わらぬうちにカレーを平らげて出てきてしまった。

「なか卯」でのクラシック音楽のような場違いに面食らうと,「いったい誰がなにを狙って?」と詮索したくなる。昔,就職して上京したおり,お上りさんよろしく渋谷というところに行って,真夜中にクラシック喫茶「らんぶる」に入ったときをふっと思い出した。コーヒーを注文したら,いきなりウェーベルンの弦楽四重奏が大音響で弾け出てきて,大いに驚いたのだった。札幌にいたころ,狸小路や北大通りのクラシック喫茶にしばしば足を運んだのだけど,ベートーヴェンやブラームス,チャイコフスキイのシンフォニーが鳴り響いているのが常であって,そこには古典音楽のロマンとともに,一杯のコーヒーで何時間も粘る昔ながらの学生気質が漂っていた。現代音楽に特有の無調音楽のレコードはせいぜいストラヴィンスキイが掛るくらいであった。で,「ウェーベルンがリクエストされる東京って凄いところだ」と思ったのである。強烈だった。いったいどんなひとびとがここに暮しているのかと打たれたのだ。

私はウェーベルンなどの新ウィーン楽派の音楽は大好きである。だけど,クラシック喫茶など他人と共有する場においては,ドビュッシーやラヴェル,ラフマニノフ,モーツァルトなど,それなりに広い聴衆を得た曲を私ならリクエストするだろうと思う。他人の趣味との最大公約数を模索するはずである。心から愛していても,ジョン・ケージやルイジ・ノーノを所望したりしないと思う。要するに,なんのことはない,あの渋谷のウェーベルンは,首都の斬新な趣味を見せつけられたというよりも,他人とは無関係に己れの趣味を押し通す場面にブチ当ったと考えた方がよさそうだ。とまあ,その後東京生活に慣れるにつれ,感じ方が変わってきたんである。

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夜十時半に帰宅すると,ピアソン・エデュケーションの『プログラミング言語 Java 第4版』が届いていた。Amazon で注文したもの。第4版は Java 5.0 Tiger に基づいている。Ken Arnold, James Gosling といった Java を創造した技術者自身による決定版で,Java 言語における『K & R』(C言語の名著中の名著) の位置づけにある。各章に題銘が掲げられていて,西欧のインテリの伝統に忠実なところも私の好むところである。

訳者の仕事ぶりも,度重なる改訂を通じて原著者と連絡をとりながら正しい日本語訳を期するという良心的なものである。私は第3版も読んだが,そのへんにころがっている Java 本に比べると,言語仕様を「正確に」伝えることにおいて,渾身の訳業を果たしているといってよい。

ところが Amazon のカスタマーレビューをみると本書を酷評しているものがあった。曰く「訳が最悪,できるなら原著を読め」云々。まるで「あいつの顔が嫌い」というのと変わらない無教養な書きっぷりである。おかげで本書は二つ星の評価になっている。ひとの仕事をこきおろすなら,きちんとその問題点の例をあげて,自身のスマートな解を示して読者に判断を委ねるのが礼儀であろう。このような見るからに頭の悪い言もいったん書かれるとそれにつられるものがいるのは致し方なく,それだけいっそうこの手の愚評をなす輩に私は我慢ならない。

確かに,本書はある体系の記述において正確さを指向するがゆえに,すっと入ってくる口当たりのよい記述にはなっていない。それでもなおかつ私には十分理解しやすく訳されていると思う。このような解説本は一から十まで秩序立てて全体を正確に説明しなければならず,読者に阿って十のうちの三か四を甘く味付けて分かった気にさせる入門書 — 日本人の書いたコンピュータ書籍は多くこのタイプでないだろうか — とは根本的に性質が違うのである。

プログラミング言語Java 第4版 (The Java Series)
ケン・アーノルド,ジェームズ・ゴスリン,デビッド・ホームズ著
柴田 芳樹訳
ピアソンエデュケーション (2007/04)