大貫妙子 Boucles d'oreilles

妻が私の誕生日プレゼントに大貫妙子の CD『Boucles d'oreilles』をくれた。大貫妙子は私にとって高校時代以来のアイドル,日本のポップスの金字塔なんである。

大貫妙子はソロデビュー以来,フランスのシャンソンの感覚を日本のポップスで表現してきたのだと思う。ところが私自身は実はフランス趣味がどちらかというと鼻につくほうで,それは日本人にとって伝統になってしまったフランス文化崇拝に対する,私の嫌悪感にほかならない。意味も解らないくせにジャック・デリダやミシェル・フーコーがどうのこうのと,これまた意味の解らない文章を書いているスノッブなインテリに呆れる口である。またこれに輪をかけるようだけど,大貫が何度もアルバムに収録し彼女自身のお気に入りだと思われるナンバーが,私にとってはそうではなかったりする。

そんなこんなで私自身のなかですれ違いのあるアーティストではあるのだが,『黒のクレール』,『夏色の服』,『春の嵐』,『Hymns』,『みずうみ』,『PATIO』,『愛の行方』,『風花』などなど,私にとって彼女の音楽は,芭蕉やプーシキン,ウェーベルンや武満徹,ショスタコーヴィチと,大げさではなく同列にある。大貫の音楽は青春そのもの。『若き日の望楼』の「あのころ朝まで熱くパンとワインでわたしたちは語った」という歌詞を,時折ふっと思い出して,いま再びなにかを奮い立たせるべき気分になるのである。『Hymns』を聴いているとアッシジのサン・フランチェスコのことを歌ったのだと感じる,というようなことを昔,妻が口にしたような記憶が私にある。そうしたロマネスクな文脈がぴったりなのである。

『Boucles d'oreilles』には『若き日の望楼』や『黒のクレール』など,私の趣味と大貫自身のセレクションとの接点が,新しいアコースティックアレンジで収録されている。ヴァイオリニスト中西俊博,チェリスト溝口肇など錚々たるアーティストが参加している。

青春の儚さと大人の軽みと慎ましい気品とを理解できるひとに。