エヴゲーニイ・ザミャーチンの『われら』を岩波文庫で読んだ。ロシアの20世紀第一四半期の作品である。ユニファ(制服)に一律身を固め,番号で呼ばれる人々が時間律法表に従って活動する『単一国』の物語。40編の「覚え書」からなる,全体主義国家に対するこのアンチユートピアの書を,私はこの一週間,満員電車のなかで,日に8編ずつ,等速直線運動で読んだ。
"чернуха" というロシア語がある。俗に,否定的現実を描いて気を滅入らせる作品の謂いである。21世紀の満員電車に揺られながら読む本としては,この『われら』の機械や正確な時間,規律に縛られた世界は,まさに "чернуха" のように思われ,己の生活に付きすぎていて意気消沈させるものがある。「満場一致デー」だとか,「セックス・デー」,「ピンク・クーポン」(要するにセックス許可チケット)なんて苦笑いしてしまう。反国家分子の処刑機械である「ガス室」は,歴史的には後続するナチスを先取りしているようでぞっとする。
それでも,描写のところどころに,未来派ないしシュールレアリズムの詩を思わせる,グロテスクにしてこの上なく美しい断片がある。テクノロジーと国家機構が異常に発達した SF 的世界を描くに相応しい,また想像力豊かな洗練された表現がある。
またもう一分間 — あの一〇分あるいは一五分のうちの — まばゆいほどの白い枕の上に,目を半分閉じてうしろにそり返った頭がある。鋭い甘美な一条の歯。... 少しずつ,ちょうど現像液につけられた写真のように彼女の顔が現れて来た。頬,白い一条の歯,唇。