眠れない夜。終戦記念日

眠れなくて悶々とし,こうして起きだしてきている。

今日は終戦記念日。八月十五日が終戦記念日であることを知らない大学生がいるそうである。私自身,戦後の生まれなので戦争を直接知るわけではない。しかし,文学や映画や記録や証言から,どんなことが起こっていたのかという想像力は持ち合わせているつもりである。昭和の十五年に及ぶ戦争で,二百万人以上もの日本国民が,対戦国とアジアの国々の二千数百万人ものひとびとが殺されたとされる。北朝鮮の動向などきな臭い現在の安全保障情勢にあって,国防問題をまじめに考えるべきというのは私も賛成だが,中国や韓国の反日行動に苛立ってあの戦争を正当化しようというひとたちがいるのは生理的に理解できない。あのころ貧乏だったけど気概には満ちていたなあ,苦労したなあというノスタルジアは,人情だし,理解できる。こうしたひとたちのおかげでいまのわれわれが成り立っているということが年をとるにつれ身に沁みてくる。しかし,あの戦争を肯定する若いやつがいるらしいのには恐れ入る。

例年のことだが,先の太平洋戦争で苦労したひとの話や,被爆者のようないまなお後遺症に苦しむひとたちの話題がテレビや新聞で採り上げられるのを目にした。なかでも,小泉さんの靖国参拝は行われるのかどうか,俄然話題沸騰の様子。

小泉さんが靖国神社に参拝しようが,「心の問題」だと本人がいうのだから,勝手にさせておけばよい。政教分離が国政の原則だとしたら,首相の「公約」だからだの,心の問題だからだののたわごとで,国会審議なり,政治家へのインタヴューなりの政治的時間が無駄に費やされていること自体がおかしい。たとえてみれば,会社の社長が,「きたる創立記念日には,我が社のだれがなんといおうと,なにがあろうと『ミッションインポッシブル III』を断固観にいくぞ,これは私の趣味の問題だ,心の問題だ,どうか社員の皆さん,ご理解ください」というのと,本質的になんの変わりもないのだ。社長がいうんだから,「バカじゃない?」と心のなかでつぶやく,会社組織がなんたるかをわきまえる社員もいれば,「僕もトム・クルーズ大好き,あの映画の英雄的行動は我が社の創業精神そのものだ,この映画を愛する社長を断固支持する」とムキになる間抜けもいるわけである。こうして社の様々な会議や,社員の仕事中の雑談で,社長M・I・IIIにいくべきかいかざるべきかの議論が白熱し,いくぶんなりか本業の効率を落とすわけである。もちろん会社の目指すところにとっては『ミッションインポッシブル III』なんてどうでもよい話には違いない。小泉さん,どうぞ参拝してください,でも公務が終わったあとにお願いします。でも,会社は業務を通して社会に貢献するところだ,と思って頑張っている社員や株主の目には,この社長の姿,どう映るんでしょうか。

そんなわけで,私は反対するというわけではないけれども,小泉さんの靖国参拝に「賛成」するひとが 39%(8/14 筑紫哲也の番組での報道)もいるのが信じられない。もっと信じられないのが,首相の靖国参拝を肯定する理由に,中国やら韓国やらがうるさく口を挟むのが許せない,というのがあったこと。中国や韓国が戦争で悲惨な目にあわされたことを過小にとらえ,日本が外国のいいなりになるのは自虐以外なにものでもないと彼らはいう。いったい良心というものがあるのだろうか。そもそもなんで靖国参拝賛成の理由に外国を持ち出すのか。彼らは,映画を見に行きたいという社長を嗤いものにする競合他社に憤りを覚えて,仕事を投げ出したままでいる社員と同じである。

靖国神社は勝手にひとを神にしたてあげることのできる凄い宗教法人なのだという。これは西洋人のジョークの格好のネタになる。A級といわれる戦争指導者閣下たちもこっそり「合祀」されたようである。戦争で死んだ兵士はもちろん,爆撃や自決や飢死やシベリヤ抑留やで亡くなったひとびとを,神だとか精神だとかぬきで国をあげて慰霊すべきだと私も思う。でも,これは靖国神社にこだわらなくても,軍国主義的臭気なくしても,できることではないのだろうか。