小学校のころ友達が「野球チーム作ろう思っとるんやけど入らへんか。ランニング・ビーいう名前にしよう思うんやけど」といったことばを,なぜだかふっと思い出した。野球をする蜂,しかも飛ぶのではなく走るというのだから,陸に揚げられた魚になにができるのかと嗤わせるようでもあるし,群れをなして刺してくる,敵にしたくないイメージも喚起して,幼いながらも一風変わった発想に感心したものだった。いまになって思うと,名詞の単複形の概念を無視しているところにもおかしみがある。残念ながらひとが集まらず,チーム結成には至らなかった。
私の家族は皆野球を憎んでいる。なんとなれば,プロ野球放送のおかげで観たいテレビ番組がつぶされたり,時間を狂わされ予約録画したはずが原監督の難しい顔で入れ替わっていたりするからである。そんなこんなで私も最近なかなか野球を観戦する機会がない。子供のころは阪神タイガースのプロ野球中継を一所懸命観たものなのに。
というわけで,実は私も子供のころからの阪神ファンである。私が野球を熱心に観るようになったころ,江夏や田淵が活躍していた。当時の阪神は,腹の出たぷっくり太めの選手が多く,阪神部屋と皮肉られていた。田淵は打てないとタブタと罵られていた。私は遠井という,これも太って眼鏡をかけた(なんと!)スラッガーや,くちゃくちゃガムを噛みながらバットを振り回す黒人選手カークランドが好きであった。阪神ファンは勝つか負けるかを超越したところがあった。そのころ阪神というチームは,肝心なところでジャイアンツに敗れるのが相場になっていて,ダメ男のシンボルみたいな印象が拭えなかった。逆にこれがファンのこだわりを維持していたようである。
関西のひとにとって阪神タイガースとは,弱いけど中央に対する反骨の意志表示のような存在であったと思うのは私だけではないだろう。いまやむちゃくちゃな扱いをされている女優・杉田かおるが子役時代に主演した,もう三十年以上昔のテレビドラマ『パパと呼ばないで』(1972-1973)には,大坂志郎演じる下町の米屋のおやじが出てくる。私はこの俳優もこの役柄も好きだった。このおやじ,江戸っ子なのに阪神ファンなのがその所以である。てやんでえの江戸っ子は,弱きマイノリティへの共感と強大な偽善者への反骨精神に満ちていて,阪神ファンという設定がなによりもこの役柄のこころを語っていたように思う。子供ごころにもそれがよくわかったのである。本物の江戸っ子は,地元の強い巨人ではなく,弱い阪神を応援する,という皮肉。米屋が廃れていくように,このおやじのような風情もいまのテレビドラマにはみられなくなってしまった。『パパと呼ばないで』は向田邦子が脚本を書いていた(なんと!)ことを最近ある Web サイトで知って,さもありなんと納得した。
私は 1985 年に三十余年ぶりに阪神が優勝したとき(いまや伝説となったバース・掛布・岡田のバックスクリーン三連発をテレビ生中継でこの目で観たんである。ABC放送の名物アナウンサー・植草貞夫の「これもいくかぁ」の絶叫が懐かしい)は,次に栄冠をかちとるのはまた三十年後だろうと想像した。しかし,ちょっと早く 2003 年にそれは訪れた。星野監督の胴上げをニュースでみながら,次の優勝は二十年後だろうと考えた。ところが,2005 年にまたしても期待を裏切ってくれた。いまは阪神に弱者のイメージをもつものはいないと思う。私が野球を観なくなったのは,実は阪神が強いチームになったためかもしれない。