残作業もようやく整理がついて,今日30日はお休みだった。28日から29日にかけて徹夜,さらに夜10時まで仕事をして疲労困憊だったこともあり,昼過ぎまでいぎたなく寝てしまった。トーストとコーヒーで食事をすませたあとはレコード三昧。気の向くままにキャビネットからLPやらCDを取り出しては再生した。一日中こんな暢気に過ごしたのは本当に久しぶり。
まずは最近の私を幸せな気分にしてくれているモーツァルト。クリストファー・ホグウッドとアカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックの演奏で25番,38番,40番のシンフォニーを立て続けに聴く。十年以上も前に秋葉原の中古ショップで手に入れた L'OISEAU-LYRE 輸入盤全集CDである。絹を思わす弦の艶といい,暖かみのある管といい,オリジナル楽器によるモーツァルト演奏の魁ともいえる名演奏である。25番と40番の有名なGマイナー・シンフォニーもよいが,なんといっても私は38番のプラハが大好きなのだ。デモーニッシュな部分の表現において他を圧倒するカール・ベームの録音と並んで,ホグウッドによる演奏は,清冽さ,純粋さ,輝かしさで聴いていて嬉しくなってしまう。
The Academy of Ancient Music
Polygram Records (1990/10/25)
お次は,Missing Persons の "Spring Session M"。これは80年代のアメリカン・ロックである。ふとこのLPが目に止まって,何年ぶりかで針を落とすことに。女性ヴォーカル,デイル・ボッジオがほとんど裸でステージを跳ね回るビデオ・クリップ,"I am one of the noticeable ones / Notice me" などという自己顕示欲旺盛な歌詞からすると,露出狂パッパラパー・バンドの代表のように勘違いしてしまうが,実は高度な技術に支えられた厚い音作りで80年代ロックの逸材だったことがわかる。
バッハの荘厳なオルガン曲を聴く。私が所有しているのは,クラシックレコードを聴きはじめたころに手にいれた fontana の廉価盤LPである。演奏はアントン・ハイラーで,1955年の録音。数あるバッハのオルガン演奏ではもはや誰もこの演奏に指を折るものはないかもしれないが,私にとってはリヒターよりも,アランよりも,コープマンよりも,レオンハルトよりも,その重厚で敬虔なたたずまいが素晴らしい。Anton Heiller の録音はCDでも入手可能なようである。
私は日本の歌謡曲やポップスも好きである。大貫妙子は特別な存在で,1981年に『クリシェ』をFMで耳にして以来私は,彼女の発表するアルバムはすべて買い求めてきた。今日は『ensemble』。弦楽四重奏,ピアノ,ハープをバックにした『風花』が古典的和の風雅な味わいがあってお気に入りである。もう昨年になるが,ヴァイオリニスト川井郁子と川平慈英が司会する音楽番組『ミューズの楽譜』に大貫妙子がゲスト出演しているのを見た。彼女の歌うジョニ・ミッチェルの "Circle Game" は渋くて渋くてじんときた。ここに彼女の原点があったのかといまさらながらに合点したのである。録画しておくべきであった。
最後にブルックナーの長大な交響曲第9番ニ短調。この曲は二十年前,学生時代に NHK-FM で聴いたセルジュ・チェリビダッケ指揮,ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団のライブ放送が凄かった。チェリビダッケというひとは録音嫌いとして有名で,生前は伝説的な指揮者だった。私はそのライブを聴いて,その場限りのパフォーマンスにかける集中力と深い音響とに感動した。私にとって圧倒的なブルックナー体験になっている。彼の数々のライブ録音のCDが,皮肉なことに死後,遺族の許諾によって堰を切ったように発売されたときは,感無量だった。この9番のCDもまた,内と外との境界のない悠々として壮大な世界の広がりを感じさせる名演奏である。こういうものを生で聴くと腰を抜かすに違いない。
EMI (1999/04/06)