加藤徹『漢文の素養』

中国,韓国,日本は,三国間で,どうも昔から政府レベルでは仲が悪いが,民間というか国民レベルでは,漢詩文という文化基盤をめぐって親密な交歓があったらしい。加藤徹の『漢文の素養』を読むと,あまり知られていないそのエピソードがとても面白い。阿倍仲麻呂は王維や李白から素晴らしい挽歌を捧げられるほどの親交があったし,長屋王は唐に千人分の袈裟を贈り国際交流にいそしんだ。その袈裟には次のような刺繍が施されていたそうである。

山川異域      山と川,国土は異なるけれど
風月同天      風月,自然は天を同じくしている
寄諸佛子      同じ仏の子であるあなたがたと
共結來緣      ともに未来につながる縁を結びたい

武田信玄,伊達政宗,一休禅師なども漢詩を詠んだ。古来,日本の教養ある人にとって,詩とは和歌と漢詩を意味した。それらを読むと,彼ら歴史上の人物が,その事蹟よりもなによりも親しみをもって迫ってくる。次は伊達政宗の詩。承句二段目の「平」字が弧平になっている以外は,立派な仄起式・五言絶句である。老兵は死なず,ただ楽しむのみ。天命を知った者の余裕か。

馬上少年過     戦いの馬上で青春を過ごした
世平白髪多     太平の世になったいま,白髪になった
殘軀天所赦     生き残ったこの体は,天から許されたもの
不樂是如何     老後を楽しむほかに,もう何もすることはない

『婬水』なる題の,一休さんのエロな七絶も載っていた。「美人の森」で口にする淫らな水の説明は不要だと思う。痛快。詩のなかで一休さんはこれを清香,清浅(さっぱりとした)と評している。大悟することと女色に迷うこととは矛盾しないらしい。一休さんは薄っぺらい現代的道徳観とは無縁の求道者だったのだ。

夢迷上苑美人森   夢に上苑 美人の森に迷ふ
枕上梅花花信心   枕上の梅花 花信の心
滿口淸香淸淺水   滿口(まんこう)の淸香 淸淺(せいせん)の水
黃昏月色奈新吟   黃昏の月色 新吟を奈んせん

本書のテーマというわけではないが,ヴェトナムもかつては漢字文化圏であった(ヴェトナム語はフランス植民地時代のおかげで,現在はラテン文字で表記される)。戦後共産主義の体現者であるホー・チ・ミンも獄中で漢詩を詠んだ。同じ漢字文化圏の日本人にとってはその意外さで彼が身近に迫って来るように思われないだろうか?(私だけ?)

いま中国や韓国の人々は日本を忌み嫌っている。そして,日本人の間でも,「右傾化」(?)した昨今,「反日的」な中国,韓国への憎悪が広がっている。今後,この本が紹介しているような文化的共通基盤で繋がり合える可能性はあるのだろうか。韓国人は漢字をほぼ忘れてしまった。漢字を使う日本人だって,漢詩文は好き者だけのマイナーな教養になってしまっている。中国詩文の教養という東洋の共有価値について,韓国人に偉そうなことは言えない。

現在でも,漢詩を詠む日本人が中国の詩愛好家と作品をやり取りして楽しんでいる例があるという。でも,それはマイナー中のマイナー事象というべきであろう。伊達政宗,一休さん,さらに時代が下った乃木大将との精神的距離は,われわれよりもホー・チ・ミンの方がより小さいように思われる。