バッハ・コレギウム・ジャパンのマタイ受難曲

今夜,ミューザ川崎シンフォニー・ホールでバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏でマタイ受難曲全曲を聴いた。鈴木雅明の指揮,独唱はクリスティーナ・ランズハーマー,藤崎美苗のソプラノ,ロビン・ブレイズ,上杉清仁のカウンターテナー,ゲルト・テュルク,ヨハネス・クリューザーのテノール,ペーター・コーイ,浦野智行のバスであった。プログラム解説によれば,受難曲は,復活祭前の聖週間,4 月のこの時期に上演される習わしであるとのこと。

ミューザ川崎シンフォニー・ホールは,2,000 に満たない観客席がステージを螺旋状に取り囲む美しい構造を持つ,音響重視のクラシック・コンサート・ホールである。サントリー・ホール,ザ・シンフォニー・ホールなどにも引けを取らない,日本を代表するホールといってよい。1 月にここで川崎市主催の音楽祭があり,下の娘が合唱で参加したので見に来たその折にこのバッハの演奏会を知り,後日妻がチケットを二枚手に入れてくれたのである。子供たちはお留守番。

BWV 244b 初期稿に基づく演奏ということで,鈴木雅明が上演に先立ち通常演奏との違いを説明した。この稿は,通常行われている 1736 年改訂稿と比べ,合唱やコンティヌオのパートの扱い,詞の構成に差異があるという。第 56 曲のレチタティーヴォ,第 57 曲のアリアにおいてリュートが使用されていることも特徴のようである。

清冽,ふくよかにして暖かみのある素晴らしい演奏だった。冒頭『序:シオンの娘の対話』から,合唱といい,器楽アンサンブルといい,パイプオルガンといい,その重厚と精妙に圧倒されてしまった。「見よ!—どこを?—我らの罪を!」あの有名なアリア「憐れみたまえ,我が神よ」での,ロビン・ブレイズのカウンターテナーにはつきあげる感動を覚えた。

鈴木雅明はプログラム解説に次のように書いている。「この『イエスと私』というテーマは,マタイ受難曲の全編にわたって流れている大きな命題と言えるでしょう。これはヨハネ受難曲とは大いに趣きを異にします。つまり,ヨハネ受難曲においては,自分の個人的な思いを述べることより,それを遥かに超越し,宇宙と歴史を支配しておられる神の摂理こそが,受難曲のテーマなのです。それに対して,マタイ受難曲では,常に『私』が登場します」。日本人としては珍しいくらい深く我が身に引き込んだ大局的なバッハ受難曲の理解であると思う。今夜感銘を受けたことどものひとつである。

演奏会終了後,川崎駅ビルのキリンシティーで黒ビールを飲み,妻と余韻を楽しんだ。11時に帰宅したら,子供たちはまだ起きていて,「おみやげは〜」と恨めしげであった。

J.S. Bach: Matthäus-Passion
Masaaki Suzuki (Dir)
Kirsten Solleck-Avella, Chiyuki Urano, Jun Hagiwara,
Peter Kooij, Tetsuya Odagawa, Alfredo Bernardini, Midori Suzuki
Bach Collegium Japan Orchestra
Bis (2000/01/31)

鈴木雅明指揮,バッハ・コレギウム・ジャパンの演奏による録音で,こちらも素晴らしい。これは私の所有する瑞 BIS 盤だが,日本盤もキングレコードから入手可能である。