『オネーギン』論文

『オネーギン』についての論文ができた。題して『「エヴゲーニイ・オネーギン」のパラレリズムの一考察〜初雪描写の解釈と,白と赤のイメージによる作品構造をめぐって〜』。あとはロシア語の要約を添付するばかりとなった。これができたらロシア人のメール友達にも送ってみてもらおうと思っている。

論文の主旨は,種を明かすと,『オネーギン』の第四章と第五章の初雪の場面の新解釈と,第五章以降のプロットの物語構造が,まるで変奏曲のように,赤と白のイメージを基点とするパラレリズムの枠組みにはまる,ということの検証である。色のイメージを議論しているので,『オネーギン』における色彩的要素をすべて抽出し,分析し,統計的に私の結論を証明づける試みも行った。

会社でムチャクチャな納期で文書を書かされることに慣れてしまっているので,2,000行の論文原稿も二週間の退社後の時間と休日で仕上げてしまった。LaTeX で原稿を書いたのだが,やはり露文と和文のバランスのよさ,段組・文献引用の自動化など,論文を書く上での便利さ,仕上がりのすばらしさに改めて脱帽した。奥村先生の jsarticle.cls の調整のよさにも頭が下がる思いがした。

アレクサンドル・プーシキンは,華麗さ,見た目の深遠さにすぐ目のゆく日本の読者にはいまひとつ「人気のない」ロシアの作家ではあるが,ロシアでは国民的詩人である。ロシア人は本当に価値のあるものは,体制が社会主義であろうが,資本主義であろうが実に大切にする。プーシキンに関する研究論文は文字通り星の数ほどもあり,その文献目録の前に学生時代の私は呆然とし,たじろぎもしたものである。

今回は,もはや最新の文学研究の列車におおきく乗り遅れたいまの私であってみれば,そんな汗牛充棟の世界をあまり気にせず,私の気づいた観点を自分のために整理するつもりで,手持ちのロシア語文献,参考書だけで書き上げた。もうロシア文学研究から二十年ちかく離れているので,研究動向を知ることもままならず,それがもっとも弱いところという認識が自分でもある。あまりにレベルが現時点の研究成果と乖離しているのも恥ずかしいので,北大で助教授をしている先輩に送ってみてもらうことにした。

文学研究は,他人の説によく耳を傾けることも重要だが,やはりテクストを自分の目と心で丹念に読み,作者の思いの核心に迫る意気込みが大事なんだとの認識を新たにした。学生のころは構造主義やら,身体論やら,現象学的アプローチやらを文学研究に応用することが流行ったが,社会人,泥臭い SE としてある程度枯れてしまったいまの私は,もはや超越的な空論に我慢できなくなってしまっていて,いよいよ原典,テクストそのものが真実の宝庫なのだという思いを強くした。

印刷できなかったらどうしようかな。後輩の研究者にネタをやるか。先輩はいま卒業論文,修士論文の審査にてんてこまいだそうで,返事をもらうにはしばらく時間がかかりそうだ。色よい意見を待つとするか。