Wnn7

仮名漢字変換ソフトウェア Wnn7 を FreeBSD に再インストールした。FreeBSD をバージョンアップした際に Wnn7 を壊してしまい,その後放置していたのだが,やっぱり FreeWnn の変換精度には我慢できなくなった。

フリーソフトウェアで固めた PC-UNIX の欠点に,良質の文字フォントがないことと,日本語入力ソフト(IME)辞書がいまひとつ鍛えられていないことがあげられる。要するに言葉という,計算機活用の基幹において,Windows や Mac と比較すると,歴然とヘボいのだ。使い心地には汲取便所と水洗トイレの懸隔がある。

フォントと IME は辞書,文字デザインという,知恵と長い地道な努力とを要する仕事に依ってたつ以上,当然,良質のモノを手に入れたければお金を支払うことになる。また,個別にソフトウェアを買い求めると割高となるのが経済学の法則というもので,PC-UNIX 用フォント・IME を購入すると,これらが一式はじめからバンドルされている Windows,Mac OS X よりもずっと高くつく。さらに,クライアント・サーバ型の Wnn7 は標準では2接続をしか許可せず,二つのアプリケーションから使うともう変換操作を受け付けなくなり,接続数をひとつ増やす毎に数千円の追加ライセンス料が必要となる。よって,FreeBSD や Linux はフリーだから安価だという主張は,私にはどうも納得しかねるのだ。

Wnn7 を FreeBSD 5.4 に入れるのには苦労した。インストール,アップデート版への入れ替え,辞書の追加設定,ことごとく面倒で,おまけに辞書用ディレクトリのオーナーを bin に変更し忘れてしまい,その結果とんちんかんな変換の原因究明にずいぶんと悩んでしまった。

かくして,PC-UNIX は実は高くつくだけでなく,時間と労力をも要求するんである。でもどうして FreeBSD から足を洗えないのか。

UNIX は,プログラム開発のための素晴らしいツールが微に入り細に入り,威容を誇っている。それに対して,Windows や Mac は,開発ツールこそ別途苦労してインストールしなければならないが,痒いところに手のとどく豪華な商用アプリケーションが豊富である。極端に言って,UNIX は道具作りのための OS であり,Windows や Mac は,グラフィックソフトやパブリッシングツールでもってコンテンツ作成を行う,言わば道具を使うための OS である。

私は,システム設計が仕事であるが,プライベートでは,プログラムを作り,そのためにデータ調査用プログラムを作り,その動作検証用プログラムを作り,なんとも地を這うような計算機利用をもっぱらとしている。UNIX は土方向きなんだな。私が UNIX を好むのも,どちらかというとブルーワーキングが性に合っているからなんだろうと思う。

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年賀状来るは書かざるひとばかり。