終戦記念日に『俳壇』異界を味わう

八月十五日,寒蟬ヒグラシ鳴ク立秋次侯。厳しい暑さが続くなかにも立秋の半ばを迎え,驟雨の通り過ぎた黄昏には涼風が通って,昼間に蓄積した汗の熱を冷ます納涼感も漂うようになった。

今日は,終戦記念日。聞くところによれば,若者のなかには八月十五日という現代日本人にとっての過酷な記憶のカイロスを知らない者もある。

終戦のポケモンGOに消ゆる影
終戦の海切れ上がるビキニあり

本阿弥書店刊行『俳壇』九月号の「異界の味わい」を読む。ちょっとブラックで怖い味わいのある俳句と,俳人による鑑賞からなる特集記事である。筑紫磐井の巻頭評論が興味深かった。

 階段を濡らして昼が来てゐたり    攝津幸彦

 句集『鳥屋』より。この句の異界に気づいたのは歌人の小池光だ。彼はこの句を解釈して,萩原朔太郎の詩に「浦」という名の女が出て来るところから,浦の妹に「昼」という女がいて,暗い階段にぼんやり座って爪を噛んでいるのだという。女はこう言う,「あなた とうとう来なかったね」。
 この句に触れる人は,必ずといってよい程小池の解釈を引用する。いつも濡れているエロチックなところが魅力的なせいだろう。本気ではないが,書かずにはいられない誤解釈なのだ。
筑紫磐井『異界をどう味わうか』—『俳壇』九月号,本阿弥書店,2016 年,55 頁。

「昼」とは女の名前だとするなんて,言語破壊に近いが,解釈としてファンタスティックである。目の前にある俳句をどう読み取るかは自由なのである。彼女はどのようにして階段を濡らしたんだ? 恋人を待ち詫びてアパートの階段でおしっこでも漏らしたか。オナニーでもしたのか。異界は読む側にも存在するということではなかろうか。

引用されていた句でわたしが「異界」を感じたものをいくつか挙げておく。

鶏頭の十四五本もありぬべし      正岡子規
帚木に影といふものありにけり     高浜虚子
キャバ嬢と見てゐるライバル店の火事  北大路翼
身の闇を挘りて春の出でにけり     佐怒賀正美
いにしへのままをくるしむけふのつき  中原道夫
秋色や母のみならず前を解く      三橋敏雄
まぼろしの蝶生む夜の輪転機      寺井谷子
紅梅の闇にをとこをかくまへり     椿 文惠
老いながら椿となつて踊りけり     三橋鷹女
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