櫻始開,鹿島田神社
お彼岸を過ぎたと思ったら寒さが戻って来た感がある。それでも春分次候となり,櫻始めて開くころおいとなった。近所の神社の桜花もほころびはじめた。
人事異動でいまちょっと憂鬱である。四月からまた仕事が変わる。心機一転である。ま,いろいろと愚痴も出て来るというもの。
先日,テレ朝の人気ドラマ『相棒』で,テロの被害者家族が,「テロには断じて屈しない」と主張する政治家に憤りを覚えて,政治テロを行うという,それこそ「荒唐無稽」のストーリーの回次があった。最近の『相棒』は,回を追うにつれてくだらないドラマになり果てて行く。右京さんはただの陳腐な(偽善的ともいえる)正義漢に成り果てた感じがする。
今般,ベルギーで起きたテロ事件の報道をみるにつけ,この『相棒』の政治思想のような,「テロ対策をすることがテロを招く」に類する意見,テロリストを刺激せずただだまーって頰被りしておとなしくしているのがテロ抑止になる,というようなことを堂々と言う無責任な人たちがけっこういるようである。ISによる日本人人質殺害の原因を,安倍総理がヨルダンで行ったテロとの戦いへの支援表明に着せしめるような類いの人たちである。
著書『五体不満足』で有名な乙武洋匡さんの不倫騒動。愛人が五人もいたということで,「五体いないと不満足」のような下品なジョークもどこかで出ていた。
他人の不倫なんてどうでもよいことである。恋愛・情事は私事の最たる領域である。一方で,乙武さんの著書の価値は,彼の女好きの人間臭さ,愚かしさとは,直接的には関係がない。思うに,彼のこれまでの仕事は評価に値する。
ベルギーのテロ事件よりも,こんなくだらない週刊誌ネタで騒ぐヒマ人が多いように見受けられ,日本は本当に平和である。
ショーンKというテレビコメンテーターの学歴詐称が,出社前に時間確認のために点けている朝の報道バラエティテレビ番組で,ここのところ毎日やり玉に上がっていて,ホント,辟易させられる。
彼のようなテレビタレントは存在そのものがフィクションなんだから,学歴にだってフィクションがあったところで — ちょっと安易なフィクションであることは確かだけれども — 俺は何も驚かない。コメンテーターとして相当な人気者だったというのだから,彼の「芸」には十分評価すべき価値があったのではなかろうか。
この学歴スキャンダルに世間が惑わされ,怒りを覚えているのだとしたら,むしろ,芸能人の学歴フィクションを許せない学歴至上主義的世間のほうが見窄らしく見える。
讀賣巨人軍選手の賭け事騒動。なんでこんなくだらないネタで大騒ぎになるのか。
俺だって昔は会社の友人とワールドカップのトトカルチョで金を張ったわけで,こういうちょっとした賭け事のワクワク感を楽しむのは — おおっぴらに肯定するつもりはないけれども — 罪の無い範疇だと思う。問題の選手のスポーツマンシップが足りないのどうのこうのとあげつらっている人がいるけれども,賭け事が好きであることと,スポーツマンシップとは,直接的にはなんの関係もないのではないかと思う。八百長をやっているわけではないのである。この問題に憤慨している清潔漢たちは,野球選手が競馬,賭け麻雀をやっていても憤るのだろうか。幼い子どもにはあんまり言いたくないけれども,別にいいではないか。
世の中のこの潔癖症には気味の悪さを覚える。なにか本質とは無関係なところでしか職業人を眺められない人が増えている,というふうに俺には見える。つまり,他人の仕事をきちんと評価できない人が多いということは,すなわち,自分の仕事の正しい評価のできない人が増えている,ひいては,きちんと仕事をしようとする人・プロフェショナル自体が逆に少なくなっている,というふうに思ってしまうのである。あんまり論理的ではないかも知れないけれども。
このジャイアンツ騒動にせよ,乙武さん不倫騒動にせよ,ショーンK叩きにせよ,本質とは無関係なことで他人の仕事を否定するという習性が,すべてに共通している。こんなことで憤りを覚えている人は,どうも仕事をしていない評論家的ヒマ人なのではなかろうか,と思ってしまう。
民主党・山尾志桜里衆議院議員が「保育園落ちた日本死ね」という匿名ブログの内容を国会審議で取り上げ,話題になっている。安倍総理の「匿名である以上確かめようがない」という答弁が反発を呼び起こして国会前の抗議行動にまで発展した。
国会という日本国のルールと国税の使い途を決める厳粛なる場において,ブログというメディアでなされた,いつ削除されるとも限らない,いったいどのような人物が発言しているのかも定かでない,無責任な主張を審議の「前提条件」ないし「根拠」として取り上げるということ自体,その内容の蓋然性いかんに依らず,政治的品性を疑われるやり口である。もし山尾議員のやり方が通用するのなら,真偽のほどが確認できない捏造資料による審議がまかり通るというものである。実際,民主党・前原議員がひっかかって国会を空転せしめたライブドア偽メール事件や,外務省捏造文書を使った共産党・志位委員長による鈴木宗男議員バッシングなど,これまでにもたくさん例があるわけだ。国政を舐めている。「出所のわからない話を扱う気はない」という主旨の安倍総理発言は,至極まっとうな立場の答弁であると俺は思う(俺は心情的に安倍さんを好かないのだけど)。
この山尾議員は,たんに政権攻撃がしたいだけで,待機児童問題を本当に解決したいなんて考えていないのではないだろうか。なぜ十分な数の保育園が設立されないのか,その構造的問題にはまったく触れずに,どこのだれのどういうスタンスでなされたのかもはっきりしない「愚痴」を国会の場で伝えているに過ぎず,よってもって国を非難しているだけだからである。
保育園は作った。でも保育士は確保できるのだろうか。そしてきちんと仕事に見合う給料を保育士に支払う需給関係が成り立つのだろうか。— こういうような問題を巡る事実関係について,山尾議員はどのような調査をし,問題解決に向けてどのようなアプローチをすべきと考え,どのような制度改革を提案しているというのか。その辺りの政治家としての本来なすべき準備と定見が微塵も見られない質疑を,どうして国会でまともに扱われると考えるのだろうか。俺の目から見ると,山尾議員のやり口はおばはんの井戸端会議のノリに近い。
とにもかくにも,「日本死ね」である。よりによってこんな不謹慎で,扇情的で,下品なブログ記事を取り上げる山尾議員は,政治品性において下劣極まりないというべきである。山尾議員は,見た目美人であるだけにいっそう,下品にして滑稽である。とにかく耳目を驚かせて政府をこきおろしたいだけの売名行為の汚らしさ。国體(共産党用語でいう「天皇制」)を否定し暴力革命を正当化する共産党なんかとの選挙協力を表明し(どうも冗談ではないらしいのが驚きである),党名を他人に決めさせる(「民進党」というのを一般人のアンケートかなにかで決めたそうではないか。この人たちはいったいなんなんだ?)— などという政治的信念のまったく欠如した民進党・旧民主党に相応しい「ポピュリスト・大衆迎合主義者」である。
俺は自民党は嫌いだが,暴力的共産党はもっと嫌いである。日本人なら天皇を戴く立憲君主制を否定する共産党は,国民性として受け入れがたいはずである。ただ,まだ彼らは国政の場で微力なので,暴力的本性が表に出ないだけである。しかし,政権離脱した民進党・旧民主党は,政治的信念のないただの「権力党」としてのみ纏まりをもつ烏合の衆であって,俺にとっては共産党の数倍の嫌悪感を催す。安全保障や改憲といった国の根本的問題についても,党として何の統一的見解も持ち合わせていないのである。あげくは,てめえが除名した政治家がたくさんいる維新の党と合併するなんざ,笑止千万である。日本国民を舐めてんのか。