KONTRAPUNKT — あるいは,海を感じる時

海浜の小さな廃工場に,俺はひとりで暮らしている。Webサイトの制作を引き受けている。舞い込む仕事はアダルトサイトばかりだ。業者のコンセプトを勘案してページをデザインし,業者の用意したエロビデオや写真素材から適当なカットを選び,コンテンツ用画像を Photoshop と Illustrator で加工し,文言を脚色し,サーブレットプログラムを書き,遥か遠く米国にあるサーバに接続して,サイトを試験し,公開する。全部ひとりでやる。朝方,ここ二週間係った仕事を終えたところだ。

開け放した大きな窓から入り込む,爽やかな秋の午前の空気と潮騒が,100平米ほどもあるだだっ広い,薄汚い,かつての工場事務室,いまは俺の仕事場兼寝室兼食堂を満たしている。窓の横には異様に大きな事務机。この工場が倒産に追い込まれるにあたり,社長はこの机で頭を抱え,一家心中を思い描いたかも知れない。机の上には,俺の仕事道具である Macintosh。古道具屋から買いたたいた薄汚い皮製ディヴァン。缶ビールしか入っていない HITACHI 製の冷蔵庫。ONKYO 製の高級オーディオセット。服やら,食器やら,本やら,レコードやらを雑然と押し込んだ,工場作り付けのキャビネット。あとは,建て替えるというので近所の病院から貰い受けた,何年ものかもわからない,そして,この上で何人の人間が死んだのかもわからない,おそろしく使い古した,やはり薄汚い寝台。ただそれだけ。

その汚らしい寝台に,いま,全裸の女が寝そべっている。朝から電話で遣わせた,今日はじめて顔を見る女である。ひと仕事終えた彼女に,俺は — やはり素っ裸のまま — 熱いショコラをいれてやる。そして,ピアノを弾くというこの女のために,JOHANN SEBASTIAN BACH の Das Wohltemperierte Klavier,SVJATOSLAV RICHTER の МЕЛОДИЯ 盤に針を落とす。朝刊にさっと目を通しながら,「あとで領収書書いてくれるかな」と女に言う。「あとね…」と続けて,ひとつ猥褻な要求をする。そして,耳を澄ます。

海を感じる時。海潮音。BACH の対位法。ピアノのこの上なく優しい,柔らかい響き。女のくぐもった吐息。新聞の紙面から遠く聞こえて来る,安保法案反対デモやら,シリア空爆やら,中国経済失速やら,幼児虐待殺害やら,一億総活躍社会スローガンやらの,現実的非現実,あるいは,非現実的現実の喧噪。そして,俺自身の腐った半生の記憶から,人の声 — たいていは暗く悲しい声 — の断片。これらすべてが,譬えようのなく青く澄み切った美しい秋の空と海の現実のなかで,同時に鳴りとよんでいる。

 
    KONTRAPUNKT  — 功散人,Oct. 23, 2015.
 
  聽窗秋浦海潮音  マドク 秋浦シウホノ 海潮音カイテウオン
  美姣寬房奏己琴  美姣ビカウ バウクツロギ オノレキンソウ
  世緣厖撩乖我計  世縁セエン バウニシテレウ 我ガケイソム
  律鳴対法歎聲侵  律鳴リツメイ対法タイハフ 歎聲タンセイオカ
 
 
 窓から来る秋の浦の海潮音に 耳をそばだてる
 女は部屋でくつろぎ そのピアノを奏でている
 世事は あまりに多くのことが茫漠と入り乱れて 我が思うようにはならない
 対位法の旋律 嘆声がそれを侵す
 
(1) 詩格: 七言絶句平起式平韻正格
(2) 韻字: 音・琴・侵(韻目: 下平聲十二侵)
(3) 平仄スキーマ:
 
 

映画『海を感じる時』を観た。2014 年,荒井晴彦監督作品。市川由衣,池松壮亮主演。「愛を知らない少女は,一人の男と出会い,『女』へと目覚めていく」— こんな下劣なキャッチコピーは,この映画の美点を少しも説明していない。多様な愛の姿の一形態としてこういうのもあり,と思うかどうかである。愛とはまず何より肉体的愛欲のことであり,それのどこがいけないのか,と考える人は,こんな映画を観ても,おそらく少しも悩まない。

海を感じる時。この表題こそが作品の美しさを象徴している。上にしるした戯言は,この美しい表題に唆された俺の幻影のスケッチである。

 
 

漢詩を LaTeX でも組版した。『狂溟集』にも掲載した。

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