千鳥ヶ淵観桜,靖國参拝

四月四日,土曜日,陰。花見がてら散歩をしようと,妻と二人で東京・九段に行く。

先週の後半,三月二十六,七日あたりは天気もよく,桜も見ごろかと思われたが,その週末はいろいろと用事があって花見の都合がつかず,今週にずれ込んだら天気はいまいち。花も風雨に乱されるかとしずこころない微妙な時機かも知れなかった。

千鳥ヶ淵,靖國神社に来るのは三年ぶりくらいか。鼠色の曇り空の下,うそ寒い日和に,桜は盛りを少し過ぎて葉桜になり,そして散り始めていた。九段坂を上りながら,やはり三年前に拵えた漢詩七言絶句『九段坂幻影』の,フィクショナルな落花撩乱の情景を思い出し,苦笑いしてしまった。今日のこの曇天では,承句「氣淸雀囀薄霞洸」はとてもじゃないがウソっぱちである。

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LaTeX による漢詩組版
 
   九段坂幻影 — isao yasuda, Jan. 22, 2012.
 
櫻雪蕭然昇九堽  櫻雪アウセツ 蕭然セウゼンタリ 九堽キウコウノボ
氣淸雀囀薄霞洸  キヨク スズメサヘヅリ 薄霞ハクカクワウタリ
視靈廢卒幽跳坂  ル レイ廢卒ハイソツ カスカニ坂ヲブヲ
途上娟人仰彼蒼  途上トジヤウ娟人ケンジン 彼蒼ヒサウアフ
 
  桜花は静に雪のように舞い落ちる 九段坂を上る
  気清かに 雀が囀り 霞が薄く茫とたなびく
  視える 兵卒の幽かな亡霊が跳び下って来る
  坂の途上 女人は蒼い空を仰ぎ見る
 
  Sakura drifting on the wind lonely and silently.
    I'm going up the slope of Kudan.
  Pure air. Sparraws twittering.
    Mist dim and thin.
  I see - transparent spirits of invalid soldiers
    jumping and coming down.
  At the end of road a woman stands
    looking up at the blue sky.
 
(1) 詩格: 七言絶句仄起式平韻偏格
(2) 脚韻: 堽・洸・蒼(韻目: 下平聲七陽)

田安門下の濠の水面をおびただしい落花が覆っていた。これもまた千鳥ヶ淵でしか眺められない壮観ともいえた。男女のカップルがボートを漕いで行く。新古今・巻二春下にある,新古今を代表する女流歌人・宮内卿の歌を思い出す。

花さそふひらの山風吹きにけり こぎ行く舟の跡みゆるまで

舟の行跡に焦点をおくことで却って落花撩乱を印象づける,余情に富む歌で,宮内卿一流の「跡」の視覚的レトリックがある。雪のむら消えによって緑の若草の鮮明な印象を残す,同様の手法による次の歌も有名だ。

うすくこき野べの緑の若草に 跡までみゆる雪のむら消え

淵に沿って歩くうち,妻が桜の樹の元に群生している白い花を指して言う。「これシャガっていう花で,俳句でよく出て来るのよね」と教えてくれた。シャガ,著莪の花。帰宅して調べたところ,アヤメの一種で,別名を胡蝶花とも。溢れる桜の海に目立たずひっそりと咲いていたこの花の季は初夏である。

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千鳥ヶ淵/著莪の花

靖國神社・能楽堂前の桜も見事だった。この夜桜の杜に囲まれて『桜川』のような夢幻能が上演されるような薪能のイベントがあればぜひ観てみたいと思う。

靖國神社は日本の右翼思想の拠り所みたいな扱いをされている。たしかに,時代遅れの勇ましい軍国的ロマンティシズムに陶酔する人ももちろんいるわけだが,戦没者の慰霊・尊崇の信仰,護國精神そのものは,思うに,偏狭なナショナリズムとは何の関係もない,ごく自然な信条・思想である。「戦犯」も神として祀られている事情に,「戦争犯罪を正当化する歴史修正主義」を纏い付かせるのは,他国の勝手である。「戦犯=犯罪者」すらもが死して浄化される日本の宗教思想は外国人には必ずしも理解されないかも知れない。否,キリスト教徒だって,イエスが政治犯だったことで世俗の「犯罪者」も神たる理由を排除されないということを理解しているはずである。

歴史を真摯に顧みずに信念だけで前に突き進むなんてのは,やってはならない。一方で,わが国の歴史的禍根について国際世論から厳しい弾劾に晒されることに対しても,根気よく,注意深く,日本の信条を説明しなければならないと思う。敗戦国であることを僻んではならないと思う。いま流行の嫌中・嫌韓の所作は,多く,敗戦国に対し不当な誹謗・中傷的プロパガンダをなして来た戦勝国への僻みによる逆ギレである(*)。

(*)うーむ。ま,俺だってイ・ミョンバクの「日王」侮辱発言以来,韓国政府はわが国の敵だと思うようになったのであるが。ただし,ここで「戦勝国」について念頭にしているのは英米仏であって,中国・韓国ではない。ひとつには,中華人民共和国は日本と交戦したわけではなく,戦ったのは蒋介石の中華民国・国民党軍であって,1949 年建国の中共ではないからだ。また,朝鮮半島は 1910 年から 1945 年まではそもそも日本の領土だったからである。よって,韓国・北朝鮮はむしろ「戦犯国」の系譜なのだ。中国・韓国こそ歴史を知るべきではなかろうか。

靖國神社はそういう思いを新たにしてくれるところであり,私自身は護國神社へのお詣りは日本人としてごく自然な行為であると考える。しかし,一方で思うに,政治パフォーマンスで靖國参拝をなす政治家が心底嫌いである。だって,靖國という高度に精神的ななにかを「政治化」してしまっているからである。中曽根がこの流れの諸悪の根源。「貴様は英霊を政治利用する気か!」という怒りである。

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靖國神社/能楽堂前の桜

前回の参拝のときは,われらが帝国軍人の鑑・小野田寛郎さんが「『同期の桜』を歌う会」だったかのイベントでスピーチしているところを見た。小野田さんは,残念ながら,昨年逝去なされた。ことしは戦後七十年の節目で,靖國神社でも「大東亜戦争終戦七十年」と題する催しがあるようだった。遊就館の展示も沖縄戦などの記録が回顧されていたようだった。特別展を見たかったのだが,あいにく時刻が遅かったので叶わず。零式艦上戦闘機など,一階常設展示物を眺めただけであった。お土産売り場で,海軍カレーに食指が動いた。ゲッツゲッツカースイ,モックキンキーン(月月火水木金金)とばかりにこれを食ってみたくなった。が,値段が高いのでやめ。

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遊就館/零式艦上戦闘機五十二型

靖國参拝のあと,神保町まで歩いた。靖国通りの横町にある壹眞珈琲店(かづまコーヒー)という古風な喫茶店で一休みし,そのあと,三省堂六階で,山川出版社から出た平成二十七年度用の高等学校用歴史教科書『詳説 世界史B』・『詳説 日本史B』を購入した。三省堂神保町本店は一般向けに教科書販売をする数少ない書店である。「うん,歴史の基本をもういちどおさらいしよう!」ってなもんや。練りに練られた学校臭は,そのために有用だ。話題の『昭和天皇実録』(東京書籍刊)を少し立ち読み。全十六巻也。これ,朝日新聞の記事でその刊行を知って以来,いつかは手に入れたいと思っているんだけど,ちょっと高価だし,読むヒマもあるかどうか。

晩飯にすずらん通りで安ステーキを食って帰宅した。この日,十キロくらい歩いた。

壹眞珈琲店で買い求めたマンデリンとともに,桜餅をいただきました。

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山川の高校歴史教科書/桜餅
 

手元にある『新古今和歌集』は岩波の旧日本古典文学大系本(いわゆる赤本)なのだが,新しい版のリンクを付けておきます。