地下鉄サリン事件二十年

雀始めて巢くふ春分・初候。暖かくなりましたね。

3 月 20 日はウチの会社は春分の日の振替休日だった。家で『ミナミの帝王』の DVD を観たり,少し本を読んだり,ま,私はひとりぽわぁんとしていた。朝日朝刊を手にとると,チュニジアの IS テロ事件,桂米朝の訃報が一面に出ていた。いまや日本人もテロの標的である。海外渡航は重々慎重を期して行うべきだろう。あのおっとりとした品のよい噺で上方落語の品格の代表ともいえた米朝も,とうとう鬼籍に入る,か。朝日夕刊一面は,地下鉄サリン事件 20 年。

大学を出て就職してからこの方,個人の人生で結婚,出産,持ち家などなど重大な契機があったわけだが,世の中の事件で,それにまつわる物語が己の記憶に鮮明に刻印されているものも,もちろん,いくつかある。近いところではなにはさておき,やはり 2011 年 3 月の東北大震災。あと,1991 年 12 月のソ連崩壊。そして,この 1995 年 3 月の地下鉄サリン事件である。

1995 年 3 月 20 日はたしか月曜日だった。私は 8:40 ごろに江東区東陽町の会社事務所ビルに出社し,毎週月曜日に行う事務処理(勤務届け,作業票の記入,出張旅費の精算)の最中だった。と,極めて異例なことに,ビルの館内放送で,地下鉄霞ヶ関駅周辺で災害事故が発生しその方面への出張は自粛するようにとの通達が流れた。私の上長は某省庁顧客との打ち合わせのため,霞ヶ関に朝一番で赴いているはずだった。大丈夫かな? するとしばらくしてまた館内放送。「事故」は「テロ事件」という表現に変更され,大きな被害が出ている模様との情報が流れ,私を含め職場の同僚たちは,方々に電話を掛けまくりはじめた。まだ携帯電話が普及していなかったので,担当者が打ち合わせで向かう予定だった顧客先に電話を入れ,思い思いに,顧客と弊社担当者の安否を確認した。幸い,私の上司は時間を置かず電話して来て,間一髪で問題の地下鉄に乗り合わせないですんだとのことだった。幸いにも,付き合いのある顧客も,被害に巻き込まれた方はいなかった。

1992 年のいわゆるバブル崩壊は,私個人にはあまり関係のない話で,景気が悪くなろうが官庁の仕事は変わらず,私の仕事である官庁系のシステム開発は,いつも潤沢な予算がつき,いつも死ぬほど忙しく,新聞やテレビで不況で職を失い悲惨な没落を見た人の話しをポツポツ見聞きしても,私も同僚も「もう少し休ませてくれ!」の悲鳴を上げるばかりだったのである。むしろ,景気対策で公共投資が増え,官公庁関係はいよいよ多忙になっていったくらいである。一方で,ウチの会社は重電事業(発電所プラント,電車,鉄鋼設備事業)部門が構造不況に見舞われて久しく,半導体と IT に事業の中心をシフトしているころで,コングロマリット企業体としていつもどこかの事業で深刻な問題を抱えると同時に,コンピュータ事業は絶好調だった。よって,世の中一般も,悪いところもあれば良いところもある,くらいに私は思っていたのである。1997 年の山一證券廃業のニュースではじめて,いよいよわが日本経済は本当に末期的なんだと理解したくらいであった。まさかこの状態が 20 年も続くとはつゆにも予想しなかったのだけど。いずれにせよ,それでもこの「失われた二十年」でも,私の仕事は常に忙しく,そういう意味では,われわれの企業努力は無駄ではなかったと,そしてオレはたまたま幸運だったのだと,いまさらながら思う次第である。

それはさておき,地下鉄サリン事件について,バブル崩壊後の出口の見えない閉塞感のなか若者が未来に絶望しカルトに走ったとの背景が,しばしば指摘される。たしかに,超多忙で,いま現在の,目の前のことしか頭になかった私自身でさえ,テレビで識者が語るそうした世相の解釈は,何かしら説得力をもって聞こえた。昔,日本の共産主義テロリストたちが三菱重工爆破事件やら,浅間山荘立てこもり事件,集団リンチ事件などで世間を騒がせた記憶が私にも鮮明に残っていたので,「日本人によるテロ」そのものは — いまの若い人がどう思うかは別として — そんなに驚く話ではなかった。しかし,宗教的過激思想集団が化学兵器サリンのようなしろものを使って騒擾を起こしたことに,新しい恐怖の時代の到来を感じたのである。かつては共産主義という外から来た頭でっかちの危険思想の謀略的工作としてテロ(どこか北朝鮮,ソ連,中国など共産主義国家の汚いカネが注入された人騒がせ野郎どもの仕業)が起こったのに対し,いまや日本人の内面の問題でテロが起こることに恐ろしさを覚えたのである。日本は世界でもまれに見る平和で安全な国家なのに,いついかなる状況でもどこか簡単に壊れる — そういう危機感である。この平和で安全な国を作り上げるのに戦後五十年かかったのに,壊すのは一瞬で出来てしまう。ものごとを造るのは長く地道で多大な努力が必要なのに,壊すのは実に簡単である。そういうものではないか?

朝日新聞夕刊の地下鉄サリン事件 20 年の見出しは「その命を忘れない」。その通りだろう。失われた命の尊さに思いを馳せ,テロを防げなかったことを反省するのは必要である。そして,もう一方で,チュニジアのテロのような現在進行形の世界規模のテロリズムがもはや日本人にとっても他人事ではない時代になったいま,地下鉄サリン事件の記憶は新しい意味を帯びている。どのような背景があり,思想的事情があり,社会的問題に起因しているとしても,テロリストは排除しなければならない。オウムの実行犯のようなテロリストに情状酌量の余地はない。いくら実行犯が「いまになってなんでこんなことをやらかしてしまったのか反省している」と述べていたとしても,国家として排除しなければならない。IS の所業についても,同じ一貫したポリシーを日本政府は貫いてもらいたいものである。国民の安全を脅かす組織的暴力は,その背景,歴史的要因がいかなるものであれ,いま現在の国民の安全保障のために,ただちに,排除すべきである。

IS による日本人人質殺害事件では,中東外遊において安倍首相がテロ対策に資金援助するとの演説を行ったがゆえに IS を刺激してテロの標的になった,などとホント愚かな他人事発言をなすメディアもあった(他ならぬ朝日新聞である)。人質救出のための「交渉方法」に問題があったなどとヌケヌケと言うものもあった。なら,お前が「交渉」して後藤さん,湯川さんを救出して来い,ってなもんや。テロリストとは「交渉」などという理性的折衝は意味がないということが何もわかっていない。交渉に意味がないときその方法を議論するのは無駄である。テロリストは殲滅・排除するだけの対象なのである。私は穏健な自由主義,民主主義を信奉するものだが,テロリズムとの戦いはそういう仁義なきものだと思うし,安倍首相(心情的に大嫌いなんだが)と日本政府の対応は正しいと支持したいと思う。

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