気温が二十度を下回るも,晴れた日差しの柔らかい,心地よい今日のお午,食事ついでに渋谷・神泉を歩いた。細い路地に沿って小さな家が犇めいて,住民が車庫に車を入れる間,車が入り切るまで私は道ばたで待たなければならないくらいだった。京王井の頭線・神泉駅周辺の,やはり細く畝った商店街沿いには,個性的な飲食店が連なっている。本格的なピザを食わせるスタンドバーのランチに惹かれつつ,結局,小さな洋食屋でチキンソテーを食った。旨かった。
職場に戻る途上,なにか飛沫を浴びた感触があり,イヤな予感。ふっと見上げると,鴉が一羽電線でじっとしていた。ん? スーツの右襟にフンが付着していた。禽獣のオシッコ,ウンコは本能の赴くままところ嫌わず,なんだろうが,これは,絶対,わざと俺目がけて放ちやがったに違いない。それでもって,知らんぷりしていやがる。コノヤロー。嘴を鷲掴みにして頸を捩じ折ってやりたくなった。と,ユダヤのジョークを思い出した。
二人の男が話をしながら,春の道を歩いていた。
うららかな日で,野や山が緑に染められ,小鳥がさえずり,牧場ではウシが草を食んでいた。
「ああ,われらの創造主は実に偉大だ。この虫一匹を見ても,神の偉大さがわかる。たとえば考えてみてくれよ。あそこに見える大きなウシが,はじめは小さな小ウシだったのだ。あの空を飛ぶトリは,はじめは卵だった」
「やっぱり神は偉大だと,ぼくも思うさ。だけど一つだけわからないことがある」
とモシェが言った。
「まず小トリは小さいから,たいして食べない。ウシは大きいから,ものすごくよく食べる。ウシの体と,小トリの体を見比べてみよう。どうしてウシがいっぱい食べて,小トリがちょっとしか食べないかは,これは誰だってわかる。
だけど,たくさん食べるために食物を探さなければならないウシに羽がはえていなくて,ちょっとしか食べずにすみ,周囲のものを拾って歩けばすむ小トリに羽がはえているということは,非常に不思議だ。神の意思がわからない」
と彼が言った瞬間に,二人の上を小トリがかすめて飛んだ。そして,モシェのひたいに糞を落としていった。
「ああ,ようやくわかった」
とモシェが叫んだ。
「やはり神は偉大なのだ!」
これ,もしウシが空を飛び,どでかい糞を落としていたら,と想像し,トリの小さな糞でよかった,と神に感謝しているわけである。だからこそ,ジョークになっているのである。かくして,ユダヤ・ジョークは,機智に富み,また現実に対するポジティブ思考に溢れている。それに比べりゃこの俺は。鴉のフンで頭に血を上らせるのも,無意味,無益なことだと苦笑い。
これは私の手元にある引用元の講談社+α文庫版。かなり古い版である。おそらく同じジョークを収録していると思われる新しい版が出ているので,こちらも以下に挙げておく(ただし,私はこれを読んでおらず,もしかしたら上記ジョークを収めていないかも知れないので,悪しからず)。