渋谷円山町

金曜日午後,渋谷の顧客との打ち合わせを終えたあと,自社本部ビルに赴くため,常駐先の顧客ビルを出た。16 時から CSR 推進の懇談会が予定されていた。ちょっと時間的余裕があったので,道玄坂周辺を散歩することにした。

渋谷にはユーロスペースという,邦画,洋画を問わず渋い映画を上演してくれる,知る人ぞ知る小さな映画館がある。かつては渋谷・桜丘町にあったのだが,もう跡形もなくなっているのに通勤の途中で気付き「旧き善き映画館はやはり絶滅の運命にあるのか」と残念に思っていたところ,ネットで調べると円山町に移転していたことが判明した。じゃ,その場所を確かめようと思い立ち,道玄坂から円山町界隈に足を踏み入れた。

円山町というと,思い出すのは 1997 年の東電OL殺人事件。当時三十九歳の東電OLがこの円山町で殺害された事件である。被害者は,昼は,慶応大学経済学部卒の東電課長級の「エリート」女性社員である一方で,夜は,円山町近辺で売春をしていた。この表と裏の顔の激しいギャップがマスコミの恰好のネタになり世間を騒がせた。当時不法滞在していた外国人男性が逮捕され,2013 年にようやく冤罪が晴れて無罪判決が出たのは記憶に新しい。

円山町はラブホテルが高度に密集する地域である。趣向を凝らした様々なタイプのラブホテルが,ホント呆れるくらいたくさん,ある。渋谷の若い恋人たちの愛の場であるのはもちろん,デートクラブ会員とコンパニオンとの交渉の場,街娼が行きずりの客を相手にする場でもあるわけである。ここでOLが街娼として追加収入を追求していることは,何も驚くことではない。昼は会社事務員,夜は風俗嬢なんて,珍しい話しではまったくないのだ。事件は「あの東電のエリート課長クラス女性が」ということで世を騒然とさせたわけだが,考えてみれば,— だいたい慶応大卒・東電課長クラスを「エリート」と称すること自体,大いなる誇張があるだけでなく,— その昼と夜の二面性には,何も,どこにも,猟奇性はない。そもそも,いくつもの顔を持つのが人間の本来の姿なのだ。

むしろ,東電なんてお堅い職場でお堅い顔付でもってツンと威厳を保たなければならなかった,行き遅れの三十九歳キャリア女性(セクハラ発言と受け取るのではなく,ミドルエイジの境界にある独身女性の実際的問題のタイプと捉えていただきたい)の,生の解放・放縦に囚われる密かな姿は,十分に納得・共感できることではなかろうか。厳しく育てられ倫理観が強く仕事熱心で出世したが,男の気配のない,性的に抑圧された女と,勉強がまったくできず世間から軽んじられているが,欲望のまにまに男遊びをする女と。極端な例だけれども,どっちが本人にとって幸せだろうか? 娘を持つ親としても大いに悩むところである。

ただ「独立営業」の性的サービス業女性は常に危険が付きまとう。殺された東電OLのような,勉強・仕事ばかりして来た世間知らずのかりそめ売春女性が,ヤクザ,ゴロツキの餌食になるのは,時間の問題である。そして渋谷はそういう社会的ゴミ男たちの巣窟なんである。可哀想な女,と言うしかない。

こんなことをつらつら思いながらラブホテル群の合間の狭い路を縫うように歩いて,やっとユーロスペースを見つけた。「シュトルム・ウント・ドランクッ」というタイトルでドイツ映画特集が組まれているようだった(ポスターはキモノを着た女の Modernismus 画なので,ドイツ映画ではないのかも知れないが)。いつもながら食指の動く映画を掛けていると感心した。今度仕事の帰りにでも来よう。

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渋谷ユーロスペース

そのあと,東京メトロ銀座線に乗り,日本橋で乗り換えて東西線で東陽町まで行き,本部ビルに到着。CSR 懇談会に出席した。最近,システム運用要員が顧客情報を盗み,それを名簿会社に売り捌いたり,自社の受注戦略に利用したり,といったスキャンダルが頻発している。そうした犯罪の背景として現場社員間のコミュニケーション不足を痛感した幹部が,課長クラスを集めて再発防止の議論をさせているのである。会のあと,ビルのラウンジで懇親会。しこたまタダ酒を呑みタダ肴を喰らい,さらには,久しぶりに会った同期と深川・洲崎で終電まで呑んで帰宅した。

その後,ユーロスペースの件の『シュトルム・ウント・ドランクッ』は,山田勇男監督作品の邦画であることがわかった。ポスターがキモノの女だったわけだ。「クッ」ってところがいいね。八月末で上演は終了していたようである。いよいよ観たくなってしまった。