日本橋兜町から霞ヶ関まで歩く

半夏生ず夏至も末候。快晴となった。

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東京証券取引所

日本橋兜町一丁目,東京証券取引所に隣接するビルで打ち合わせ。うちの部と同じ本部に属する別の部が担当する某官庁大規模システムの運用設計に関するやっかいな仕事をこのたび手伝うことになり,プロジェクト状況を聞きに来たのだった。うちの部の霞ヶ関事務所に比べると会議室がたくさんあって羨ましかった。それでも単位面積あたりのビル借料は霞ヶ関の半額らしい。

会議が終わり,証券会社が立ち並ぶビル街の居酒屋でチキンカツ定食を喰らい,霞ヶ関の事務所に戻ることに。東京証券会館ビル壁面に茅場町付近の江戸古地図が掲示されていてしばらく眺めた。江戸城から日本橋,永代橋に至るこの界隈はお江戸の商業の中心地だった。深川芭蕉庵跡も地図で読み取れた。芭蕉の高弟・宝井其角の住居跡も東京証券会館ビル辺りだったとのこと。現代日本のウォールストリートで白昼夢を見た気分になり,このあと急ぎの用事がないということもあって,散歩がてら,この炎暑のなか,霞ヶ関まで歩くことにした。

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江戸古地図

昭和通り(国道316)に出てひたすら南進。日本橋,室町・京橋を経て,地下鉄東銀座駅付近で新歌舞伎座を眺める。高層ビルに伝統的な歌舞伎座のファサードがくっ付いている。

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東銀座・歌舞伎座
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銀座四丁目交差点

ここから晴海通りに入り,数寄屋橋方面に向かって銀座を歩く。銀座四丁目交差点,銀座のランドマークになっている和光の時計台を見るのは久しぶり。アベノミクスで経済は好調,消費増税後も国民の購買意欲は思いのほか堅調で,銀座もいま再び地価が高騰しているようである。平日にもかかわらず高級ブランド洋品店もけっこうな人出だった。中国語が耳に入ること度々だった。

と,集団的自衛権容認に関する憲法無視の閣議決定を報ずる,今朝の朝日一面の紙面が頭に飛来してムカムカする。解釈で憲法第九条の真逆を行く? 安倍さん,大学で憲法学をやらないで政治家になられたようである。「集団的自衛権は国連憲章で認められた当たり前の権利であって,日本もこれでやっと普通の国になるんだ。平和ボケはもう終わりだ」に類することを言う,それこそ平和ボケのXXが喜んでいるようである。ま,自衛隊は米軍支援のために南スーダンの戦闘地域はもとよりイラク,シリア,ウクライナあたりにまずは行くのか。ま,あわてることはない。次回選挙で安倍独裁自民党,支持母体裏切りクソ公明党を落選させればよい。それができないとすれば,やはり有権者たる国民の判断だということだ。

うむ。ここ銀座は俺にはあんまり関係のない場所である。

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新橋・日比谷口交差点

数寄屋橋から JR 高架沿いの細い径を新橋方面へ。日比谷公園にも足を伸ばそうかとも思ったが,職務時間中にすでにいい加減ムダこいたわけなので,やめ。高架下の飲み屋など,だんだん見慣れた,いつもの,俺に相応しい薄汚い風景が目に付くようになる。心から尊敬する故・小沢昭一の著書によれば,この新橋高架下のあたりは,戦後しばらくは街娼・男娼が道行く男の袖を引いたとか。

そんなことを考えているうちに新橋日比谷口に出る。「朝は,赤!」と缶コーヒーを差し出すAKB48新女王まゆゆ様がお出迎え。会いに行けるアイドル。そうだ,昔,藝者はハメに行けるアイドルだった。なんとか踊りなんかの顔見世を観,気に入った藝妓を指名してその唄と踊りを楽しみ,果ては待合宿のベッドにまで連れ込んでしまったわけだ。AKB48はわが国の芸能文化史における一種独特の回帰現象だと気づく。唄と踊りとスキンシップという芸能の根幹への回帰。そうだ,新橋は柳橋と並んで帝都随一の花街だった。ん,俺はアホか? 妄想を振り払い,烏森通りを西へ,完成したばかりの虎ノ門ヒルズを横目に 1km ほど歩いて霞ヶ関・内閣府下交差点すぐの事務所に帰り着いた。

約 8km のウォーキングだった。日本のウォールストリートから,花街の幻影を経由して,日本国政府の中心地まで歩いてみたってカンジ?