やがてかなしき鵜舟哉

芭蕉の句に「おもしろうてやがてかなしき鵜舟哉」(貞享五年)がある。見せ物に興じるうちそれも一時的な楽しみだという儚さに囚われずにはおれない,そういうこころを詠んだものだと私は勝手に解釈していた。でも,この「かなしき」にはもっと根源的なものがあるのだった。

西郷信綱の著した『梁塵秘抄』評釈に,平安のころから鵜飼という職業が殺傷で身を立てる業をまとうものとして扱われ,そのモチーフが和歌・歌謡の伝統として定着している,とあった。篝火の影だにあらじ後の世の闇をも知らぬ鵜飼舟かな(藤原兼宗)。生きてゆくために鵜を殺傷に利用する罪業。芭蕉の句も遊興にこの鵜飼の業を二重映しにして「おもしろうて」と「かなしき」とを句の内在論理として同心円に描いたのである。

現代人は鵜飼の業のリアリティを喪失してしまっているけれども,「後の世の闇」をこの芭蕉句のうらに想像しなければならないようである。