フロンターレ敗れる。新橋ぶらぶら。

七月末日,仕事のあと,妻と J1 サッカー試合を等々力競技場に観に行った。第 18 節,川崎フロンターレと湘南ベルマーレとの対戦。四月に朝日新聞からフロンターレ・ホーム戦招待チケットを貰い,天才・柿谷擁するセレッソ大阪との試合を観に行くぞと私は張り切っていたのだが,娘の都合が合わず,延び延びになり,結局,招待試合最終のベルマーレ戦を観戦することになった。

わが J1 観戦としてははじめてのナイトゲーム。夜風がそよいで涼しく,スタンドは快適だった。ビールを飲み,カツサンド,おにぎりを喰い,カクテル光線のなかお祭り気分でサッカーを観られるこの歓び。川崎市制記念イベント試合だったゆえか,この日のフロンターレ応援スタンドはほぼ満員。幼い子供たちがゴール裏スタンド最前列に陣取って賑やかだった。前半終了後のブレイクタイムに,あの往年のアイドル,西城秀樹がオープンカーに乗って登場し,例のYMCAを熱唱しながら場内を一周した。彼は川崎市民,そして熱烈なフロンターレ・サポーターなのである。ユウツなど,ワーイ・エム・シ・エ! 吹き飛ばして,キミもゲンキ出せよ! ヒデキ,カンゲキ,ヒデキもカンレキ。スタンドは大盛り上がりだった。

試合は,残念ながら,1-2 でフロンターレの逆転負け。ベルマーレにはここ五年くらい負け知らずだったのに。ブルー一色のスタンドはため息のうちに静まった。まず,稲本選手のフィードを受けた大久保選手が左の角度ある難しい位置から放ったシュート。これがゴールに突き刺さって,フロンターレが先制。ところが,これ以外では,フロンターレの攻撃はベルマーレの卒のない中盤の守備に手こずり,なかなか縦にパスが繋がらず,しばしばボールを奪われベルマーレにカウンタを許してしまう。そうするうち,後半,セットプレーとカウンターから二失点してしまい,逆転を許す。試合終了間際にレナト選手の仕掛けでベルマーレ DF が彼を倒してしまい,フロンターレは起死回生の PK を奪取。なのに。元日本代表の大久保くんはポストに当ててなんと PK を外してしまう...。ま,こういうこともある。大久保選手が打ち拉がれて自陣に戻る様子は哀れだった。オンボールの状態ではテレビ中継でおそらくこんなシーンは映し出されないだろうと思われるにつけ,球場で観戦する面白さを改めて知った。しかしだな,オレが観に来るといつも負けって...。

* * *

サッカー観戦のため少し早めにフレックス退社した。ちょっと虎ノ門,新橋を散歩してから,妻との待ち合わせ場所・JR 武蔵小杉駅に向かうことにした。

まずは,都内でもっとも高い地所・愛宕山にある愛宕神社に参拝。このお社は皇居前の内堀通りから出る国道 302 号線沿いにある。徳川家康の命により 1603 年に建立された。お社の至る所に葵の御紋があしらわれている。一の鳥居から二の鳥居に続く石段が恐ろしく急勾配である。見ると,外国人の混じった家族連れ五人が石段の中央を上って行く。肝っ玉の太さに驚いた。その家族連れのなかに,レモンイエローのノースリーブシャツと黒の短パンを身に着け,白い腕と脚とをむき出しにした,すらりと背の高いグラマーな混血美女がいた。目のやり場に困った私はいよいよ端の手すりにしがみついておどおどと石段を上った。この急な石段は「出世石段」と呼ばれているそうである。その昔,さるお侍が馬を駆ってこの石段を駆け上り,勇名を馳せたらしい。前を行く美女の黄色い後ろ姿に度肝を抜かれ,後ろを振り返っては足をすくめ,私は出世とは無縁のようだとつくづく思い知らされた。

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愛宕神社石段(左)・本堂(右)

愛宕神社お詣りのあと,新橋界隈をぶらぶら。

ニュー新橋ビルを久しぶりに覗いてみた。ここは昔そごうデパートだった建物。かつては,デパートに相応しい総合小売り店鋪群だったわけだが,そごうが潰れてからは猥雑で昭和な空間に変じてしまった。一階は,パチンコ店,サラリーマン御用達・洋服の青山,古銭商,古風な洋食屋。総じて安チケット屋が目立つ。二階より上は,ポルノショップ,鉄道マニアショップ,中古レアビデオショップ,ゲームセンター(暗がりのなか,昔懐かしいテーブルタイプの機械の前に,中年オヤジがたくさん座っていた),ちょっといかがわしい雰囲気を発散したマッサージ・エステ店,モロいかがわしい個人輸入代行(バイアグラ,レビトラ,エトセトラの薬品)業者,雀荘。昔ながらの喫茶店もいくつかある(張りガラスからなかをちょっと覗くと,客は日刊ゲンダイや東京スポーツなどのおまんこ新聞 — でも,私見では,文藝春秋,週刊新潮,女性セブンよりはまだマシなメディア — を読んでいるオヤジばかりだった)。シャッターの降りたテナントが目立つ。歩いていると,媚びるような微笑とともに中国エステ女店員のお誘いを受ける。元デパートの通路で呼び込みに遇うなんて...。ここは時代が三,四世代くらいずれている。

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ニュー新橋ビル(左)・ビル内の喫茶店(右)
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ニュー新橋ビル店舗(左)・雀荘(右)

ニュー新橋ビルを出て,次は西口通り。安っぽい飲食店が犇めいていて,懐の寂しいサラリーマンが集まるに相応しいエリアである。キャバクラ,フィリピンパブ,ポルノショップも軒を並べ,猥雑感いっぱい。ガールズバーと並んでレンタルルームの看板も目に付き,いったいナニをするための施設なのかと訝しくなる。新橋西口の高架下は,かつて街娼,オカマ男娼,ポン引きがウヨウヨしていたらしいが,いまその面影はない。名画座『文化劇場』とピンク映画館『ロマン劇場』がまだ営業している。文化劇場には『昼下がりの情事』と『華麗なる賭け』の二本,ロマン劇場には昔のピンク映画三本(ポスターの女優さんのお顔がなんとも七十年代なのだ)が掛かっていた。絶滅を免れているだけでなく,プログラムそのものも凄い。ここでも時代は三,四世代くらいずれている。このあとサッカーじゃなけりゃ観て帰るんだけどな(文化,ロマンのどっちを?)。

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文化劇場(左)・ロマン劇場(右)

新橋は,こうして,貧乏臭くかつ猥雑な,昭和の雰囲気がプンプンしている。ちょっと行くと虎ノ門・霞ヶ関の中央官庁街が広がっており,昔,私は担当省庁顧客をよく新橋で呑ませた(国家公務員倫理法の施行されている現在では無理である)。だが,その後の桃色がかった二次会については,知った顔に出くわす危険性があったので,役所に近い新橋は敬遠し,上野,浅草,錦糸町くんだりまでお連れしたものである。よって,新橋の猥雑な紅燈の内側はいまだ知るところがない。