言葉の妖かし — 沢田名垂『阿奈遠加之』

男女が次のような歌を交わしている。男:

灯し火の明石の瀬戸をよそに見る
須磨の浦こそうらめつらなれ

返し,女:

心あれや明石をよそに行き通ふ
雁はとどめぬ須磨の関守

表面的に読み取れる大意は次のようになるだろう。男:あなたのいる明石の狭い海峡を横目に見るにつけ,いまここに須磨の海浜が広がり続くばかりなのは恨めしい限りだこと。女:あなたの心はこのわが明石におありではなく,他の女のところにお通いになっているのではないでしょうか,でも須磨の関守が雁を,あなたを,引き止めてしまったことですわね。男の「つらなれ」(連なれ,あるいは,列なれ)を受けて,その縁である「雁」を歌に読み込むばかりでなく,本歌取り(「逢坂のせきの関守心あれや...」)までしているあたり,王朝の雅と歌の技が光る。

しかし,これ,じつは江戸時代の沢田名垂(なたり)作『阿奈遠加之(あなをかし)・下巻』に出て来る歌物語から,歌のやり取りだけを抜き出したものである。その文脈からもうひとつの裏の意味に力点をおいてこの二首を現代語訳すると,次のようになる。

男:灯火のように月経の血で赤く滲んだあなたの明石(陰門)の狭いはざまを横目に見ながら,須磨の浦(素股)をせっせとやることでガマンするのは恨めしい限りだこと。女:あなたの心はわたくしの月の障りの明石(陰門)におありではなく,他の女の門にお入りになっているのではないでしょうか,でもいまは須磨の関守(素股)のおかげで(男根の)雁首が締め付けられて動けないようですわね。

ここで明石(アカシ)が月経の血の滲んで赤い陰門(アカシ)に,須磨(スマ)が素股(スマタ)に,喩えられている。須磨,明石はもちろん『源氏物語』で聖化された和歌の雅なトポスである。それも心憎い。源氏見ざる歌詠みは遺恨の事なり。

猥褻なレアリアを優美な装いで伝える。あるいは,雅な歌が好色な狂歌に反転する。見事というほかない。言葉も化けるのだと評してもよい。江戸のインテリは艶笑譚においてすらこういう言葉の妖かしを楽しんだわけだ。日本古典文学の恐るべき重層性を垣間みる思いである。本当に舌を巻く。エロ・猥褻に諧謔と文学的重層性・多義性とを上乗せできるわが国の古典文学伝統は,おそらく他国にあまり例をみない。

若干の現代語訳を補いつつ,このくだりの原典古文の触りを掲げておく。全訳を知りたい方は,本を取り寄せて覗いてみていただきたい。

近き頃,何がしの殿,北のかたの御もとにしばしとだえておはしましゝに,うらあしのさはりおほかるただ中にて [ ちょうど月の障りの最中で ],ねたうあやにくなり [ ほんとうに生憎な ] とくるしがり給ひしかば,さらにこと人などめさむも人わろしとやおぼしたりけむ [ 今更ほかの女を求めるのも不人情だと思ったからだろう ],よしさらばとて,少し身じろぎし給ふほどに,女君の白う清げなる御足を,もも長に引きのばし [ 長く差しのばさせ ],なゝめに打ちちがへさせまゐらせて [ 斜めに交叉させて ],そのうへにつとそひふし給ひつ。女君,かゝるたはれめくわざはまだ見もならひ給はねば,いとあやしとおぼして,そはこと所にて侍るものを,さてだに御心はゆくにや [ それでは場所がちがいますのに,それでも満足なされるのでしょうか ] ととはせ給ふに,殿,
   ともしひのあかしのせとをよそにみる
   すまのうらこそうらめつらなれ
とほゝゑみ給ふ。女君,きと心づき給ひて,さてはふる御達 [ 年増の官女たち ] などの,ともすれば枕ごとにいひさゝやく,すまとやらむはこのあたりにやとおぼしあはするもうひうひしくて [ 須磨とやら(スマタを聞き間違えた)はこんなことなんだとさとりなさるのも初心らしく ],我ながらはずかしとおぼしたり。御かへしとはなくて,
   こゝろあれやあかしをよそにゆきかよふ
   かりはとゝめぬすまのせきもり
となんひとりごち給ひける。やむごとなき御うへにも,かゝる御たはぶれは猶あるにこそ。
『秘籍 江戸文学選』巻三,日輪閣,1976 年,214-5 頁。

ついでに,『阿奈遠加之・上巻』からもうひとつ。

妹と寝る床よ離れて啼く雁の
涙や菊の露とおくらん
『秘籍 江戸文学選』巻一,日輪閣,1976 年,42 頁。
20130509-edobungaku.png
芳年「かゆさう」,『秘籍 江戸文学選』巻一口絵

両刀使いの男についての歌である。雁は男根の雁首で,上例と同じ。菊とは,菊の花弁に似た肛門のことである。雁の涙,菊に置く露,とくれば説明は不要であろう。女といたした男が今度は少年のカマを掘ったという歌である。これも雅な表と猥褻な裏との見事な融合の例である。沢田名垂は会津藩士だった。田舎侍にしてこれほどまでに粋な扇情的歌物語をものした江戸文学は,探せばいくらでもお宝が出て来そうである。

『秘籍 江戸文学選』の各巻には,口絵として江戸の絵師による春画や美人画が掲載されている。右は第一巻の芳年のもの。